nekoTheShadow’s diary

IT業界の片隅でひっそり生きるシステムエンジニアです(´・ω・`)

ここ2-3か月の読書メモ: 新書以外のノンフィクション

実質的にはこれの続きである。社会人になってそこそこ経ち、安月給ながらも自由になるお金が増えたのだが、まだまだ貧乏学生時代の性癖が抜けず、より安価な新書に手を伸ばしがち。ただそのなかでも新書以外の本も一応は読んでいるので、その読書メモをブログ記事として残しておきたい。

森功『許永中 日本の闇を背負い続けた男』(講談社+α文庫)

タイトルの通り、許永中の評伝。いわゆる「イトマン事件」に関心があって手に取ったのだが、それに関する記述は少なめ。事件や出来事ベースではなく、許永中という人物そのものに着目している1冊でした。彼が暗躍したのは高度経済成長期からバブル期にかけてだが、このころは政界-財界-裏社会が独特の関係をなしており、許永中はこれらをうまく取り持ったり、あるいはその威光を借りたりしながら、成功した印象を受けた。

永野健二『バブル 日本迷走の原典』(新潮社)

その当時を日経新聞証券部の記者として過ごした筆者による、バブル時代の回顧録、あるいはエッセイ集と呼んでよいだろう。バブル期に起きたさまざまな事件に対する学術的考察や詳細なレポートを求めていると、それはちょっとお門違いである。読んでみて思うのは、とにかくあの時代はいろいろと「おかしかった」ということ。バブル期にはさまざまな怪人物が現れては、多額の金が絡んだ派手な事件を引き起こすが、それらに関する書物を紐解いてみても、バブル期ニッポンを覆っていた空気や雰囲気はつかみ取れない。筆者のフィルタがかかっているとはいえ、その空気や雰囲気を後世に伝えてくれているというだけでも、本書は出色の出来であるといえるだろう。

樋田毅『記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実』(岩波書店)

赤報隊事件を追いかけ続けている元朝日新聞記者による取材録である。要は犯人捜しをしているのだが、その取材対象は各地で活動する右翼団体からいわゆる「新右翼」そして某韓国系新興宗教にいたるまで広範囲に及んでいる。この宗教団体も反共産主義を掲げて、右翼団体と盛んにかかわりを持っていたことから、要は戦後右翼を対象として取材を行っているのだが、これがなかなか秘密主義的というか、闇が深い(もっとも取材者が朝日新聞というのもよくなかったと思うが)。また取材の過程で右翼と公安警察の結びつきや朝日新聞自体の腐敗も浮かび上がっており、この闇の深さの中でよく取材したと感心する一方、だからこそ「未解決事件」になってしまったのだというふうにも思わなくはない。

ここ2-3か月の読書メモ: 新書編

趣味の読書の中で面白かった本、学びが大きかった本については読書メモをブログに残すことをこころがけているのだが、ここ最近は忙しくて読書メモをさぼりがち。しかし珍しくまとまった休みが取れた(要はGW)ので、ここ2-3か月で読んだ本のうち、とりわけ新書の読書メモを記事化しておきたいと思います。

兵藤裕己『後醍醐天皇』(岩波新書)

鎌倉幕府が倒れた理由として、元寇や分割相続による御家人の疲弊があげられがちであるが、しかしその討幕の中心人物が有力御家人でも貴族でもなく、後醍醐天皇だったのか。本書は多様な観点から後醍醐天皇を読み解いた評伝であり、当時最新鋭の学問であった宋学や仏教などの影響が語られているのが印象に残った。また後醍醐天皇は討幕にあたって、中小貴族や悪党などの非御家人層をとりこんだわけだが、ではなぜそうした層を取り込むことができたのか。個人的にはあまり着目してこなかった観点に対して、合理的な説明が述べられており、勉強になることだらけだった。ちなみに本書によると、後醍醐天皇に仕えた怪僧文観を真言宗立川流の祖とするのは俗説だそうです。残念(←何が)。

川端裕人著、海部陽介監修『我々はなぜ我々だけなのか アジアから消えた多様な「人類」たち』(ブルーバックス)

人類の進化というと、直線的な進化イメージを抱きがちである。つまり時間を経るにしたがって、猿人が原人に、原人が旧人に、そして旧人が新人になり、その進化にともなって人類の生活領域もアフリカから地球全土に広がっていったというイメージだが、本書によるとこのような単純な見方は間違っており、実際にはさまざまな種類の猿人や原人が世界各地におり、それがホモ・サピエンスに統合されていったというのが正しいらしい。本書はその1例として、ジャワ原人をめぐる最新の研究動向を紹介している。

倉本一宏『藤原氏 --権力中枢の一族』(中公新書)

日本史の勉強をしていると、とりわけ大化の改新から平安時代にかけて、いやというほどその名前を見かける藤原氏。また摂関政治以後も「コップの中の嵐」ではあるものの、朝廷内の権力を握り続けたのだが、それにしても藤原氏はなぜそこまで偉かったのか? 本書によれば、その生存戦略は時代によって変化するものの、基本的には天皇のミウチでありながら、皇位継承競争からは外れるという独特のポジションをキープし続けたことにある。天皇からしてみれば、親戚でありながら皇位を簒奪しないということで信頼がおけるし、藤原氏にとっても「ミウチ」という単なる貴族よりも上の立場で政治へ関与できるため、メリットが大きい。あと氏内で権力闘争をすればよいだけなので、藤原氏は大変賢い一族であったということが分かる。

田中一郎『ガリレオ裁判 --400年後の真実』(岩波新書)

ガリレオ裁判というと、無知蒙昧で前時代的なカトリック教会が一方的に科学者ガリレオを断罪したというような、いわばガリレオ英雄史観が語られがちであるが、本書によると話はそれほど単純なものでもないらしい。当のガリレオ自体がカトリックであった、つまり反キリスト教無神論の立場から教会の鼻を明かすというような意思はなかったし、対する教会側も当時としては正当な手続きのもと宗教裁判を行っている。少なくとも、教会がガリレオを狙い撃ちで不当に弾圧し、その弾圧に対してガリレオは科学の優位性を楯に勇敢に闘ったというようなことはなかったらしい。ちなみに本書によると、ガリレオの有名な文句「それでも地球は動いている」は後世の創作だそうです(´・ω・`)

片山杜秀『[シリーズ]企業トップが学ぶリベラルアーツ 「五箇条の誓文」で解く日本史』(NHK出版新書)

「日本の近代(明治-敗戦)とは何であったか」についてはさまざまな見解・研究が発表されているが、本書のようにその原点を五箇条の御誓文に求めたものは珍しいと思われる。いわれてみると、明治維新に始まる日本の近代化は五箇条の御誓文の実現過程であり、その結果生み出された権力構造、つまり「さまざまな権力機構が天皇を中心に緩く結びつき、それらを統率できるものがいない」という権力構造が悲惨な大戦をもたらしたという結論は腑に落ちやすい。ビジネス向けの軽い新書という体だが、そのわりには面白く、新しい考え方も見えて、たいへん勉強になった。

高口康太『現代中国経営者列伝』(星海社新書)

昨今は中国から世界的大企業が生まれつつある。本書はタイトルの通り、いくつかの中華系大企業の創業者の評伝集であり、まずは難しいことは抜きにして、読み物として面白い。紹介される人物がそれぞれ個性的でかつパワフル。彼らが失敗や挫折を経験しつつも、巨万の富を築き上げていくのだから、読んでいておもしろくないわけがない。やはり成功譚というのは読んでいて気持ちがよいのだが、その一方で本書から学ぶことも多い。「巨大な内需を抱えているがゆえに、中国でNo.1になるだけでも、世界有数の規模になりあがれてしまう」「建前上は共産主義のため、官民一体となった経済成長が可能」「不合理をきらい、投資欲が高いなど、ビジネス向きの国民性がある」などが個人的には印象に残った。バブルといえばその通りだが、このグローバル化の時代、一国のバブルが世界を飲み込んでしまう可能性も十分ありうるのである。

伊達聖伸『ライシテから読む現代フランス ――政治と宗教のいま』(岩波新書)

不勉強を告白しておくと、本書を読むまで"ライシテ"ということばすら知りませんでした……。"ライシテ"とは「公共の場に宗教を持ち込むべからず」という、ある種の宗教的政治的中立性のことで、カトリックと結びついた王権が人民を弾圧した過去/建国神話を持つフランスらしい概念ではある。さてフランスで重視されるこのライシテだが、近年イスラム教との関係のなかで揺らぎを見せつつあり、本書はいくつかの事例を取り上げながら、現代フランスにおけるライシテの複雑さを解き明かそうとしている。公教育でのスカーフ禁止など、日本人の感覚からすると腑に落ちない現象が理解できる1冊である。聖俗一致のイスラム教と聖俗分離のライシテの食い合わせが悪いことはいわずもがな、しかしカトリックの影響のもと「完全な分離」が実施できているわけでもないというところに、話の複雑性があると感じられた。

「しがない問題」の解答をGitHubにまとめた

お題「しがない問題」

以前にこんな記事を書きました。

nekotheshadow.hatenablog.com

「@tbpgrさんが作成された『しがない問題』をいくつかのプログラミング言語で解いてみた」いうもので、記事を書いたきりすっかり忘れていたのですが、このたびGitHubのレポジトリに自分の解答をまとめておくことにしました。以下がそのURLです。

github.com

またレポジトリにまとめるにあたって、先述の記事では扱わなかった言語での解答も増やしておきました(´・ω・`)

『Effective SQL』(翔泳社)を読み終わった。

Effective SQL

Effective SQL

えふぇくてぃぶ(´・ω・`) いわずとしれたEffectiveシリーズのひとつで、そのタイトルの通り、SQLDBMSに関するベストプラクティスが手ごろにまとまっています。ただSQLと大々的にうたっているわりにSQLそのものに関する記述は6-7割程度で、残りはDBMSに関する記述になります。もっともSQLDBMSは切っても切り離せない関係にあるので、DBMSに関する記述が多くなってしまうのは仕方ないかなという気はします。

正直なところ、本書を読んでみて、目新しいと思えるトピックはなかったように感じました。しいていうならば、インデックス周りの話は勉強になったというか、体系だって学べたのはよかったと思います。ここでわたしのバックグラウンドを話しておくと、アプリケーション開発中心のシステムエンジニアで、SQLDBMSにはちょっとだけ関心をもっており、いろいろと関連書を読んでいます。この程度の人間でも「基本の復習にはなった」というような感想を持つので、上級者やSQL魔人(SIerにはそういう人がたまにいるのだ)にはやや物足りないかもしれません。

しかし逆に言えば基本がしっかりとまとまっているということであり、脱初心者や中級者を目指すという人には本書はもってこいだと思います。ベテランの開発者でもSQLDBMSが苦手という人は少なくないため、その分野について、人よりちょっぴり抜きんでているだけでも結構武器になるはずです(実体験)

上田隆一『シェルプログラミング実用テクニック』(技術評論社 )

シェルプログラミング実用テクニック

シェルプログラミング実用テクニック

めざせシェル芸人――とまでいわなくても、Shell Scriptを使いこなせるかどうかはプログラマにとって重要です。ロートルSIerに勤めているとよくわかるのですが、この道何十年というベテランプログラマでもシェルをいまいち使いこなせないという人はおり、シェルが人よりちょっとわかるというレベルでも市場価値はぐんと伸びます。

Shellを覚える利点として「定型業務が自動化できる」という話を聞きますが、さまざまな自動化ツールが世にあふれ、PerlPythonなどの高機能なスクリプト言語Linuxにビルトインされている現代、シェルスクリプトの主戦場は「書き捨て」にあると個人的には思っています。いくらPythonPerlが便利といっても、非定型業務を書き捨てプログラムで楽にこなすという観点ではシェルスクリプトにはまずかなわない。またコマンドとパイプをつなぎ合わせながら1行で複雑な処理をかける爽快感もPythonPerlでは味わえないものです。

本書は「Shell Scriptでこみいったシステムを作る」というよりは「書き捨てプログラムを素早く書いて、ちょっぴり複雑な業務を手早く終わらせる」ということを中心とした入門書である――とわたしは感じました(まあ「こみいったシステムを作る」的な話がないわけではないので、筆者の意図せざるところかもしれませんが)。またタイトルにわざわざ「実践」と題しているように、現実の業務で出くわしそうなテクニックが多数紹介されています。個人的にはgrep -o .xargs -P 0というイディオムがもっとも「目からうろこ」でした。あとはなんとなくで使っていたxargssedについてきっちり学ぶ機会になりました(´・ω・`)

読書メモ: 『三島由紀夫と楯の会事件』『陰謀の日本中世史』『クー・クラックス・クラン』『山口組四代目 荒らぶる獅子』

ここ最近読んだノンフィクションや新書のうち、面白かったものの読書メモです(´・ω・`)

保阪正康三島由紀夫楯の会事件』(ちくま文庫)

タイトルには「楯の会事件」とあるが、これはいわゆる三島事件のこと。本書はその「楯の会事件」が発生した背景を探るべく、三島由紀夫ではなく「楯の会」について綿密に取材したものです。三島事件というと作家三島由紀夫が「子分」である楯の会を集め、先鋭的な行動に走った――とイメージしていたが、本書によると、楯の会との交流の中で三島の思想は先鋭化し、あれだけの事件を引き起こすまでになったらしい。

呉座勇一『陰謀の日本中世史』(角川新書)

陰謀の日本中世史 (角川新書)

陰謀の日本中世史 (角川新書)

鎌倉時代から織豊時代までのさまざまな歴史的事象について、世間に流布する陰謀論を批判・検討した1冊です。あけすけにいうと「昔のことなんてよくわからない」。だから想像力を駆使しすぎた陰謀論があとを絶たないわけですが、それらが荒唐無稽な議論に過ぎないことを本書はアカデミックな視点から丁寧に解説しています。個人的には「鹿ケ谷の陰謀」の実在があやしいというのがなんとなくしょっく(´・ω・`)

浜本隆三『クー・クラックス・クラン: 白人至上主義結社KKKの正体』 (平凡社新書)

白人至上主義を奉ずる秘密結社で、白い頭巾をかぶって夜な夜な集まり、黒人をリンチにかけるという、おどろおどろしいイメージで語られがちなKKK。その実態と政治的社会的背景に関する「日本ではじめての新書」だそうです。その活動が長期にわたり、盛り上がりが3回あったということからもわかる通り、排外主義集団といっても、その時代時代に複雑な位相を持っているという当たり前のことを再認識しました(小並感)

溝口敦『山口組四代目 荒らぶる獅子』(講談社+α文庫)

山口組四代目 荒らぶる獅子 (講談社+α文庫)

山口組四代目 荒らぶる獅子 (講談社+α文庫)

山口組4代目組長の一代記です。とにかく「きちんと取材している」というのが読み終わっての印象。取材するのが記者の仕事とはいえ、実家や生い立ちまで取材しているのは珍しいのでは? とりわけ対象が対象ですし。また「取材をして、その記録を活字化した」というだけではなく、ところどころに筆者が顔出して論評を加えており「読み物」としても結構水準が高いように思われます。

CodeIQがSunsetするそうです。

複数の常連出題者(?)が出題終了をツイートしたり、スカウト機能の終了が告知されたりしたあたりから、きな臭い雰囲気は漂っていましたが、2018-03-08にCodeIQのSunsetが告知されたようです。残念(´・ω・`) 正確な日付は失念したのですが、わたしがCodeIQに登録したのはプログラミングを本格的にはじめた頃でした。大学の寄付講座でRubyを知ったことがきっかけに「プログラミングというのはかなり面白い行為なのでは?」と思いつつ「具体的に何をすればよいのかわからない」「Webサービススマホアプリを作るのはハードルが高い」という時代に、CodeIQを通じてプログラミングクイズ/競技プログラミングという世界があることを知れたのは幸運だったと思います。なによりありがたかったのは「題材が用意されていること」。始めたてのころというのは勉強の題材を探すだけでも一苦労。あまりにも難しい課題を設定してしまったがために挫折する可能性もある中、CodeIQの「与えられた問題に回答する」というのは非常に手軽でした。また問題の難易度もさまざま用意されており「簡単な問題を解くうちに徐々に難しい問題もできるようになっていく」という感覚を持てたのは、プログラミング学習のモチベーション維持にずいぶん寄与してくれたと感じています。

またCodeIQはコミュニティ志向――というと少し大げさですが、人と人のつながりのようなものを重視していたと思います。この手のサービスには珍しく、出題者による手動採点という方式を長らく採用していましたし、そもそもその出題者自体も最初期はCodeIQユーザからスカウトするようなこともあったようです。CodeIQMagazineにはCodeIQで出題された問題に関する記事も多数ありましたが、その記事内でユーザの名前や解答が掲載されることも珍しくなかったですし、極めつけは「感謝祭」。つまりはCodeIQユーザのmeetupのような集まりを四半期ごとぐらいに行っていたのですが、この「あるサービスや技術に関心を持った人がリアルやネット上でゆるく集まる」という感じが肌感覚として学べたのは本当に良かったと思います。こうした人の集まり方は現代的なコミュニティに共通する――とまではいわないものの、いわゆる「勉強会」「meetup」「技術コミュニティ」はそのような心性に少なからず支えられており、その文脈のもとで現代日本のWebサービスや技術が生み出されているというのが分かっていることが、ロートルSIerのなかで強みになっているのは間違いないと思っています。ちょっと大げさかしらん(´・ω・`)

ただこうしたコミュニティ志向と転職サイトの食い合わせが悪かった可能性は十分にあります。日本の転職では

  1. 何らかの理由で転職を決断する。
  2. 転職サイトやエージェント、ハローワークで就職先を探す。
  3. 転職する。
  4. 1.に戻る。

というフローをたどることが大半だと思います。つまり日本における転職活動とは瞬間的な行為であり、ある一定期間はその場に滞在することが求められるコミュニティとは相性が悪い。欧米では仕事=次の仕事を見つけるまでの足掛かりというキャリア観が一般的らしいので、転職サイトに「滞在」するということが可能なのかもしれませんが、日本の転職事情ではコミュニティとしての転職サイトというのは少し厳しかった、ビジネスとしてペイしなかったのかなと素人としては思うわけです。

またCodeIQはそのサービスの性質上、自分の解答コードがそこに蓄積されていきます。これもある種のコミュニティ志向といえるかもしれませんが、しかし他者にも見える形で自らの成果や知識を蓄積していくのであれば、別にそれがCodeIQである必要はありません。GitHubやブログあるいはQiitaなど、プログラマが自ら知見を公開する場はWeb上にいくらでもあるわけで、クローズドなCodeIQに蓄積する意味は何かと問われると少し厳しかったのかもしれません。

ただCodeIQがわたしの人生に与えてくれたものは大きく、その点は感謝してもしきれない。ろくに就職活動もせず、卒業後はだらだらフリーターになる予定だった2流大学の大学生がプログラミングを継続的に学ぶきっかけになり、正社員のSEになったあとは勉強だけではなく情報収集やSNS活動(?)のHUBとしても非常に役に立ったわけですから、今回のSunsetはとても残念(´・ω・`)