nekoTheShadow’s diary

IT業界の片隅でひっそり生きるシステムエンジニアです(´・ω・`)

チバユウスケとt.a.t.u.に関する思い出話

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少し前にチバユウスケさんがお亡くなりになられたことが大きなニュースになりました。長く活躍されてきた方ですし、遺作が大ヒット映画スラムダンクの主題歌だったということもあって、世間の関心も高かった印象です。食道がんで入院したというニュースを聞いたときは「酒もたばこもする人だから病気もやむなし。数か月もすればけろっと戻ってくるだろう」なんて考えていたので、訃報を聞いたときは正直かなりびっくりしました。自分はそれほど熱心なリスナーではありませんでしたが、それでも結構ショックだったので、ファンの方の衝撃はたいへんなものでしょう。あらためてご冥福をお祈りします。

彼のことをミュージシャンとして最初に認識したのは中高生ぐらいのころ。GiGSかGuitar Magazineか、そのあたりの音楽雑誌でThe Birthdayの武道館公演(ツアーだったかも)が特集されていたのがきっかけ。その後、後追いするような形で、RossoやTHEE MICHELLE GUN ELEPHANT(TMGE)をチェックしていったと記憶しています。ただ単に彼を見たというだけであれば、それよりももう少し前。2003年のミュージックステーション(Mステ)でした。

当時t.a.t.u.というロシア人少女2人からなるガールズグループが世界中でセンセーションを巻き起こしていました。All The Things She Saidという曲が世界的大ヒット。この曲が収録されたアルバムも何百万枚と売れたんじゃないかな。また世界各地でTV番組やコンサートをドタキャンする、同性愛やレズビアンのイメージを前面に押し出す、過激かつエロティックなパフォーマンスをするなど、当時としてはかなり刺激的でスキャンダラスな売り方をしていて、これもお茶の間をにぎわせる要因のひとつでした。そんな話題沸騰中のふたりが日本での東京ドーム公演(武道館だったかも)のついでにMステにも生出演するということで、マスコミではその話題でもちきりでした。大阪和泉は泉南地区の小学生であった自分もそのムーブメントはひしひしと感じ取っており、ミーハー心でぜひ見たいと、アニメのドラえもんを見ながらの夕食後、金曜午後8時にブラウン管の前で全力待機の構えでした。

当時のMステは番組冒頭に今日出演するミュージシャンが全員紹介されて、そのあと各出演者が順次演奏していくという形式でした。t.a.t.u.はこの番組冒頭の顔みせには出てきたのですが、その後楽屋に閉じこもってしまって、出番になっても出てこない。しょうがないので、演奏順を入れ替えたり、司会タモリトークでつないだりと時間を稼いだものの、結局最後まで楽屋から現れず。t.a.t.u.が本来パフォーマンスするはずだった1曲分の時間を埋めるべく、番組の最後で、すでに演奏を終えたロックバンドが急きょ追加で1曲演奏。番組は大盛り上がりで幕を閉じたのでした。

この最後に生演奏したバンドがチバひきいるTMGE。演奏曲はミッドナイト・クラクション・ベイビーだったかな。デッドマンズ・ギャラクシー・デイズだったかも。おおげかさかもしれませんが、この事件はテレビ史や音楽史に残る一夜として現代においても言い伝えられています。ではこの当時ブラウン管の前にいた自分はというと、よくわからんバンドが出てきて終わったなという感想でした。TVの中で異常なことが起きているということで、わくわくはしたものの、それよりロシア娘の生足をおがめなかったがっかり感が強かったですね。その生演奏を聴き、かっこよさにうたれて、ロックに目覚める――なんてエピソードがあればよかったのですが、当時の自分にそんなセンスはありませんでした。小学生にガレージロックやパブロックの類は早すぎました。

覚えている限りでは、このt.a.t.u.のMステドタキャン事件は大問題となり、次の日のニュースやワイドショーはこれ一色。t.a.t.u.が謝罪会見を開くまでの超加熱ぶりがでしたが、結局これがきっかけでt.a.t.u.は日本中のヘイトを買いまくり、東京ドーム公演のチケットが半分も売れなかったとかなんとか (これもニュースになっていた記憶)。

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