- 作者: 飯山陽
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2018/02/15
- メディア: 新書
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タイトルはちょっぴりそっけなさを感じる本書ですが、まずは各章のタイトルを眺めてみましょう――なかなかセンセーショナルな文言が並んでおり、ついつい読みたくなりませんか?(´・ω・`)
- イスラム教徒は「イスラム国」を否定できない
- インターネットで増殖する「正しい」イスラム教徒
- 世界征服はイスラム教徒全員の義務である
- 自殺はダメだが自爆テロは推奨する不思議な死生観
- 娼婦はいいが女奴隷はいる世界
- 民主主義とは絶対に両立しない価値基準
- イスラム世界の常識と日常
「日本におけるイスラム教紹介」においては「イスラム教=平和の宗教」というイメージが支配的です。イスラムに帰依している人であれば、自分の信仰する宗教をよく言うのは当たり前。非イスラム教徒でも中東社会に関心を持っているという人はたいていインテリですから、他者の宗教を悪く言ってはいけないという規律訓練を受けており、ついついイスラム教の良い側面ばかりを強調してしまうのでしょう。
しかし現実には「イスラム教=平和の宗教」というイメージに真っ向から反抗するような過激派が跋扈しており、もはやニュースバリューを持たないほどに凄惨な無差別テロが頻発しています。イスラム国などは最たる例でしょう。「平和の宗教」でありながら、現代の国際政治を語る上で無視できないほどの影響力を持つ過激派を生み出し容認する――本書はそうした「イスラム教と現実社会のねじれた関係」について、おもにイスラム教の観点からわかりやすく解説したものになります。
本書が面白いのは、抽象的・総論的な話がほとんど出てこないというか、イスラム教と社会の関係を社会理論としてまとめようとはしないところ。個別具体的な事象について、その背景を語るというスタンスをほぼ崩さないため、読んでいて非常に納得感(?)がありますし、そもそも読み物として読みごたえがあります。ちょっとお堅い「ニュースの裏側」のような感じでしょうか。
お仕事がプログラマということもあって「2. インターネットで増殖する『正しい』イスラム教徒」が個人的にもっとも関心を持ちました。詳しくは本書を読んでもらうとして、おおざっぱに論理展開をまとめると「インターネットの広まりによって、コーランの原典やその解釈にアクセスしやすくなった結果、世俗の権力に癒着したイスラム法学者の見解に疑問を抱く人が増え、またそのような人たちが『つながり』やすい環境も整備されたことから、イスラム過激派隆盛の要因のひとつになっている」というもの。メディアの進歩が既存宗教に与える、かつてはルターによる宗教改革(これは活版印刷術の普及が一大要因でした)でも見られたことですが、似たようなことが検索エンジンやSNSの流行でも起きているというのはちょっと不思議な気分(´・ω・`)