nekoTheShadow’s diary

IT業界の片隅でひっそり生きるシステムエンジニアです(´・ω・`)

今週のお題と近況報告。

今週のお題「卒業」: 近況報告もかねて。

この3月に大学を卒業しました。足掛け5年、ふつうより1年長い大学生活ははたして実りあるものだったかどうか。確かに大学に通ったことによって、得たものは大きいと思います。とりわけ3年生から所属したゼミナールで研究したことは自分の趣味に直結することであり、一生遊べるおもちゃをもらったようなものです。少なくとも自分自身のQOL(?)だけを考えると、大学に通ってよかったと感じています。

とはいえ大学(それも国立大学)を卒業したと胸を張れるだけの、ひとかどの人物になれたかどうかはわかりません――というか、なれませんでした。社会科学を専門とする学部に通って理解できたのは、社会科学および社会とはきわめて複雑で簡単には語り下ろせないということ、そして自分には社会の役に立つような能力がないということ――そのふたつぐらいでしょうか。

とりわけ税金が投入されている国立大学には国家や産業や社会を支えるエリートを養成する役割があることはいうまでもありません。そういう場所に他人より余計に通って、結局お稽古事程度のことしか成し遂げられなかったのは自分の能力の低さがあるからであり、申し訳なく思います。今になってあれこれいっても仕方のないことですが――学費やそれに付随したもろもろのお金を別のところ(たとえば中等教育の拡充など)に利用したほうが、よっぽど世のため人のためになったはず。とくにわたしは大学の専門とは全く関係のないところに就職するので、余計に立派な学士様になれなかったことを恥じているわけです。


最近某商社に就職する人と話す機会がありました。その人は商社を中心に就職活動をしていたのですが、いわく「商社の志望理由として『発展途上国の経済発展に貢献したい』という人が多い」とのこと。正直にいって商社と発展途上国の発展が結びつく理屈自体さっぱりわかりませんが――それはともかく、もし仮に本当に発展途上国のことを親身に思うのであれば、その商社に入社する権利をその途上国の若いエリートに譲ってやったほうがいいとわたしは感じました。商社で身につくスキルをはいて捨てるほどいる日本人ではなく、真に国を思う途上国のエリートに学ばせたほうが、より効率的に発展途上国の発展に結びつくような気がするのです。

あるいは開発経済学を学びにアメリカに留学した人もいました。そのこころざしは立派ですし、留学のための奨学金をもらう勉強などは大変なものだと尊敬はしますが――やはりその留学に行くお金を途上国の教育に寄付するほうがよほど途上国のためになったのではないかという疑念が消えません。もちろん開発経済学を研究する人間がいるからこそ、よりよい途上国の発展があるわけです。そのあたりのことは重々承知の上、それでもなお途上国に住む何千人ものひとびとを上から救うお金をはたいて、途上国を救う研究をするということに奇妙なわだかまりのような感情を抱かざるを得ません。

要するに本音と建前、その区別がわたしにはわからないのです。


本ブログは読書ブログですが、最近読書欲が減退気味です。理由はペーパーバック読みを再開したから。実はときおり猛烈に洋書が読みたくなるようなシーズン(?)があり、ちょうどいまがそれにあたります。しかもペーパーバックを読みだすと、なぜだか日本語の小説を読むのが猛烈におっくうになるという症状もあり……。

当面は書き溜め(というか読みため)があるので、それを定期的に記事にしたいと思います。しかしペーパーバック読みたい症候群がどこまで続くのか……。ふだんなら数か月で飽きてくるのですが――実は最近Kindleの導入を考えています。ふだん洋書を読むときは電子辞書を使うため、読書ができるのはその辞書を開ける場所に限ります。しかしKindleを使った場合、辞書が内蔵されているため、いつでもどこでも洋書を読めるということになり、当面洋書を読み続ける可能性があります。仮にかなり長期間にわたって症状が治まらず、記事のストックがなくなった場合は代替措置を講じたいと思います。まだ未定ですが(´・ω・`)


大学卒業ののちは社会人になります。ファーストキャリアは外資系のSIerになりました。どちらかといえばPGやSEを希望していたのですが、技術営業になりそうです(´・ω・`)。開発に回してもらえるよう希望はしますが、だめそうなら転職ですかね。1年ぐらいは様子を見て、だめそうならぼちぼち動き出そうと思います。それまではスキルを蓄えておかないと! あとはCodeIQのプロフィールを充実させておきます(今は空欄)。

ケン・フォレット『針の眼』読了。

針の眼 (新潮文庫)

針の眼 (新潮文庫)

 本題に入る前の蛇足。今回わたしが読んだのは新潮文庫版ですが、絶版。現在は創元推理文庫から出ています。また新潮文庫版のあとがき(戸田裕之/p.549)によると、新潮文庫以前はハヤカワ文庫に本作品が収録されていたとのこと。確かにAmazonをみるとありますね。しかし絶版。

 ここまでをまとめると本作品はハヤカワ文庫/新潮文庫/創元推理文庫の順番に収録されており、現状手に入るのは最後の創元推理文庫版になるということです。邦訳でこれだけ版元が変わるのも珍しい。しかし逆に考えると本作がそれだけ読み継がれてきたということであり、本作の名作性傑作性を証明しているということになります。

針の眼 (創元推理文庫)

針の眼 (創元推理文庫)

針の眼 (ハヤカワ文庫 NV 319)

針の眼 (ハヤカワ文庫 NV 319)

 本作の舞台は第2次世界大戦期のヨーロッパ。ドイツのスパイ<針>が連合国の重大機密を取得、それを本国に報告すべく英国を脱出しようとする一方、英国の諜報当局も<針>の活動を把握しており、彼の帰国を阻止しようとそれをしゃにむに追いかける。さて<針>は無事英国を脱出できたのでしょうか――というのが本作のあらすじ。これだけでわくわくしてきますね。実際に読んでみると、練り上げられたプロットが目まぐるしい場面転換によって語られており、 これぞスパイ小説/冒険小説といったおもむきを醸し出していました。

 また本作の美点は追う側と追われる側の対比にあると感じました。まず追われる側の<針>はどちらかといえば動物的です。一匹狼で猜疑心が強く、殺人もためらわない。逃げ回る際は確かに論理的に考えは巡らせるものの、最後は自らのスパイとしての勘を頼りに進む道を決めていきます。対して追う側の諜報局は極めて理性的。なぜ<針>がこのような行動をとるのかということを常に考えながら、じりじりと<針>を追いつめていきます。

 この対比がとりわけ生きるのが最終章でしょう。<針>は優秀なスパイですが、その優秀さの源泉である動物性が彼を物語の終焉においてある行動に駆り立てます。それが理性的な諜報局とどう衝突するのか――最後の1ページまで目をそむけることができない。そんな作品でした。

アントニイ・バークリー『毒入りチョコレート事件』読了。

 先に断っておくと、今回わたしが読んだのは旧版ですが、アマゾンを見る限り絶版の模様。旧版と同じ創元推理文庫から新訳が出ているので、とくにこだわりなどがない場合はそちらを読むことをおすすめします。手に入りやすいですし。ちなみにわたしは旧版の表紙が好きだったのでそちらを選択しました。古い創元推理文庫の表紙にはあらすじが記載されており、その結果非常にごちゃごちゃした印象を受けるのですが、わたしはその感じがなんとなく好きで、手に入る場合はそういう表紙の本ばかりを集めてしまっております。

 「推理小説を読む楽しみとは何か?」この問いかけには十人十色の回答があると思いますが、本作では次のふたつがとりわけ重要視されています:「意外な犯人」「論理的な推理過程」。いやむしろ本作にはこのふたつしかないのです。まずとある謎が提示され、それに対し6人が6人とも違う探偵法を用いて、違う犯人にいたる。嘘偽りなく本作はただそれだけの作品です。おそらく推理小説にあまりなじみのない人が本作を読むと、困惑しきりでしょう。「何が面白いのか」以前に「どう楽しめばいいのかわからない」という状態になると思います。しかしある種の推理小説ジャンキーにとっては作中に展開される論理的な推理過程に身をゆだねることが天上の快楽であり、それ以外はおまけに過ぎない。つまり本作は推理小説のある側面を異常なまでに掘り下げ、かつそれ以外の要素はほぼ投げ捨てた作品なのです。

 本格推理小説の低迷を憂える文脈において「初心者向けの本格推理小説とは何か」というテーマが議論に上がることがままあります。要するに初心者向けの本格推理小説を業界の外にアピールして新規の読者を呼び込みたいということですね。ただ実際にそのような議論に決着はつかず、今の今に至るまで初心者向けの本格推理小説が明快に定義されたことはありません。そもそも難易度や面白さといった主観的で量的に計測しづらいものに統一的な尺度を導入するというのは無理な話でしょう。とはいえわたしは明確に玄人好みの作品は存在すると考えています。推理小説という形式そのものに挑戦する作品や批評的な視点やメタフィクションの視点を取り入れた作品などです。そしてその観点から行くと本作は明らかに玄人好み。しかし逆にいうと本作を楽しいと思えるなら、立派な推理小説ジャンキーあるいはその素質を十分に持ち合わせているといえるのではないでしょうか。  

 

小鷹信光『探偵物語』読了。

探偵物語 (幻冬舎文庫)

探偵物語 (幻冬舎文庫)

 瞠目すべきは作者の名前でしょう。小鷹信光。日本のハードボイルドを語るうえで欠かせない翻訳家のひとりですが、小説を書いているとは知りませんでした。しかもタイトルが『探偵物語』! テレビドラマ「探偵物語」といえば本格的なハードボイルドの雰囲気とメタフィクションなコメディが混じった異色作であり、悲劇の俳優松田優作の代表作としても知られています。ではなぜそのノベライズが小鷹信光なのかというと、どうやら企画段階でかかわっていたからだそうです。

 さて読んでいてまず思ったのは「文章がうまい」ということ。当たり前といえば当たり前ですが文体が非常にハードボイルドらしい。日本には豊かな翻訳小説の文化と歴史があり、1翻訳家の文体が単なる翻訳を超えて強い影響力を持つということがままあります。ハードボイルドならチャンドラー作品の清水俊二訳あたりがこの代表例ですね。ただ小鷹信光の翻訳がそのようなくくりで語られることはあまり聞かなかったので、本作において極めて独自な文体を確立しているのを見て驚いたのでした。もっとも小鷹信光は日本のハードボイルド文学を作ったひとりであり、その訳文を基にしてさまざまなハードボイルド作品が書かれているということを考えると、彼の文体が独特のそれと思えなかったのも当然かもしれません。つまりその文体が人口に膾炙した結果、オリジィナリティあるものと感じられなくなってしまった。例えるなら蛇口をひねれば水が出ることに慣れ切ったために、水やインフラのありがたみがわからなくなってしまうのと同じでしょう。

 文体には触れたので次は物語。本作の根幹にあるテーマは「家庭の悲劇」であり、非常にロス・マクドナルド的です。くわえてプロットが論理的に進行するよう組み立てられていることを考えると、本作はハードボイルド文学が文学の1ジャンルとして確立したあとのハードボイルド、より具体的には1950-60年代以降のハードボイルドを意識して作られていることがわかります。しかし例えばやや暴力的な描写や極端に誇張された登場人物など、要素において初期ハードボイルド的な特徴が現れます。つまり本作はあらゆる時期のハードボイルドのよいところをそれぞれつまみ食いした作品であり、翻訳家という立場からハードボイルドに面や点ではなく直線で付き合ってきた作者だからこそ書けたともいえます。またどのジャンルでもそうですが、ハードボイルド文学の創作は作者のハードボイルド観の表明であり、本作は作者小鷹信光にとって何がハードボイルドであり何がハードボイルドでないかを端的に示す資料となりうるはずです。

 文体にしろ物語にしろ創作作品は作者を雄弁に語ります。あるいは作者が自分の作品に自らの分身を注入するのかもしれません。その観点からすると本作にはハードボイルド的にきわめて豊かなものが注がれています。その片りんに触れようとするだけでも、本作には読む価値があったと思いました。

メールを送ってほしいという愚痴。

王様の耳はロバの耳。あるいは壁に耳あり障子に目あり。人に万が一でも知られてはまずいことは、胸の内にしまっておけという先人のありがたい教えですが――しかし愚痴というのは誰かに発散して初めてストレス解消になるもの。そこでわたしはこの場末ブログにオブラートに包まれた愚痴を吐き出すのです。

メールがこない! こないこないこないいいいいいい。しかも2通。ひどい。1通はとある日程に関するもの。スケジュールに関することはなるべく早くに送ってほしい。しかも重要度が高い(=出席せねばならない)イベントの日程がわからないせいで、そのイベントがありそうなあたりに予定を入れることができず、参加したかった別のイベントを見送らざるを得ませんでした……。

もう1通は人生にかかわること――というと大げさですが、わりに重要なタスクにかかわることであり、できるだけ早くからその対策を打ちたい類いのものです。予定では2月中に送られてくるはずでしたが、あと3時間足らずで3月になる現段階になってもメールは送られてきません。催促するのもはばかられ――というかそもそもどこに催促すればいいかわからん――非常に焦れた状況に置かれております。そのせいかしら、おなかが痛くなってきました。風邪やらインフルエンザやらが大流行しているこの時期にストレスをためさせないでほしい。体が弱って病気にでもなったらまったくしゃれになりません。

実は2通とも同じ組織から送られてくるはずのものです。年度末ということでばたばたしているのかしら。しかしメールを送ってこない理由にはなりませんよね……。勇気を出して催促してみようかしら。とはいえ向こうのほうが何倍も立場が上なんだよおおお。居丈高に思われたりして、下手を打つとまずいどころの騒ぎではない。一方わたしに大変な迷惑をこうむっているのもまた事実であり、それをなんとかせねばならないということもある。はてさてどうしたものか(´・ω・`)

大藪春彦『日銀ダイヤ作戦』読了。

日銀ダイヤ作戦 (角川文庫 緑 362-38)

日銀ダイヤ作戦 (角川文庫 緑 362-38)

 大藪春彦を代表する伊達邦彦シリーズの第3長編です。以前にも本ブログで伊達邦彦については扱っていたような……と思い調べてみましたが、扱っていませんでした。ただ初期短編集のひとつは記事にしており、その際言及しているようです。

 伊達邦彦は大藪春彦のデビュー作『野獣死すべし』(1958)において初登場しますが、その際は腕っぷしのきく大学院生にすぎませんでした。その後紆余曲折があり、本作ではイギリスの秘密エージェントとなって、日本銀行の金庫からダイヤモンド(総額250億円)を奪取する役回りを演じます――いやはや変貌しすぎですね。『野獣死すべし』では1000万円程度を強奪して大喜びしていた姿はいったいどこに行ってしまったのか。なかなか興味深いところです。

 伊達邦彦シリーズというより大藪春彦作品全般について、時代が進むにつれて関わる金額が大きくなり、国際性や謀略性が強くなっていきます。また『野獣死すべし』のころは青春小説的な趣が全般に出ていたものの、これも年々失われ、より痛快なエンターテイメントへとかじを切っていきます。そういう意味では本作は伊達邦彦シリーズおよび大藪春彦の転換期に位置するといえるかもしれません。

 また大藪春彦を語るうえで欠かせないのがセックス。大藪春彦作品の主人公はセックスアピールに満ち満ちており、気に入らない女を組み敷いて犯しているうちに女の方が従順になりだすというアダルトビデオも真っ青な展開がざらにあるのですが、こうした女性嫌悪的な男性性を発露する傾向は後年になって強くなるのであり、本作ではそれほど現れてはいません。もちろん伊達邦彦のセックスによって女性が籠絡される展開はあるものの、見かける女が片端から股を開くという極端なところまでいっておらず、そういう点でも本作は転換期にあたる作品といえるのではないでしょうか。

木々高太郎ほか『日本推理作家協会賞作品全集2 短編集1』読了。

日本推理作家協会賞受賞作全集 (2) (双葉文庫)

日本推理作家協会賞受賞作全集 (2) (双葉文庫)

 本作は日本推理作家協会賞受賞作(より正確には日本探偵作家クラブ賞受賞作)のうち、初期短編を集めたものになります。収録作は以下の通り。

  1. 木々高太郎新月』(第1回 短編賞[1948])
  2. 香山滋『海鰻荘奇談』(第1回 新人賞[1948])
  3. 山田風太郎『眼中の悪魔』(第2回 短編賞[1949])
  4. 山田風太郎『虚像淫楽』(第2回 短編賞[1949])
  5. 大坪砂夫『私刑(リンチ)』(第3回 短編賞[1950])
  6. 水谷準『ある決闘』(第5回 [1951])

 さて収録作の傾向ですが、おおきく2つに分かれます。まずは「文学派」。推理小説の枠組みを利用して純文学的なテーマを語る作品群で、1/5/6がこれに該当します。まあこれに関しては木々高太郎/大坪砂夫/水谷準という名前からもわかりますが。そして残る2/3/4は「怪奇派」に分類されます。いわゆるエログロというやつですね。3/4の山田風太郎はともかく、香山滋のデビュー作(2)が「怪奇派」的な作品であることは知りませんでした。

 どの作品も平均以上のクオリティでしたが、個人的に気に入ったのは1/3/4。まず1について。1950-60年代にかけて日本の推理小説界では、いわゆる本格推理小説を指向する一派と、高い文学性や芸術性を指向する一派に分かれ、激しい対立を繰り返していました。その代表的な事件が抜打座談会事件ですが、その後前者の一派が優勢になったということもあって、後者の作品はあまり読まれないという事態が現在でも続いています。大坪砂夫などは後者とはいえまだ読まれる方ですが……個人的には苦手(収録作の5もだめでした)。そのため坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとばかりに、後者に属する作家の作品から逃げていました。しかし1は非常に面白く読めました。確かに高い芸術性を目指してはいるものの、根っこの部分には探偵小説の基礎がしっかりとあり、そのためすんなりと受け入れることができたのかもしれません。ひるがえって考えると、大坪砂夫は探偵小説の部分をないがしろにしているということになりますが……。

 次に3/4について。怪奇的と称される探偵小説を書く作家はたくさんいますが、その怪奇性をいかに演出するかは作家ひとりひとりによって違います。たとえば収録作の2では奇妙な生物やそれにかかわるマッドサイエンティストが登場し、何とも言えない不気味さに満ちています。またこの手の創始者である江戸川乱歩であれば芸術至上主義な態度、ひるがえって人命すらも芸術の前にひれ伏す様子を生々しく書くことが、乱歩特有の怪奇性になっています。『パノラマ島奇譚』などはその究極形ですね。

江戸川乱歩全集 第2巻 パノラマ島綺譚 (光文社文庫)

江戸川乱歩全集 第2巻 パノラマ島綺譚 (光文社文庫)

 では3/4の作者である山田風太郎の怪奇性とは何か――それは「都会」です。山田風太郎というと『柳生忍法帖』など伝奇的な歴史小説が有名ですが、こと推理小説分野の作品となると非常に都会的になります。しかし一般にいわれるような「都会的な作風」ではなく、本来最先端な「都会」の裏にあるどろどろとした何かを描くタイプです。いわば「都会的なエログロ」であり、わたしはそうしたテーマに関心を持っている――というか非常に惹かれるのです。とりたてて都会出身でもなく、都会に住んだこともないのですが……。

柳生忍法帖(下) 山田風太郎忍法帖(10) (講談社文庫)

柳生忍法帖(下) 山田風太郎忍法帖(10) (講談社文庫)

柳生忍法帖(上) 山田風太郎忍法帖(9) (講談社文庫)

柳生忍法帖(上) 山田風太郎忍法帖(9) (講談社文庫)