nekoTheShadow’s diary

IT業界の片隅でひっそり生きるシステムエンジニアです(´・ω・`)

小鷹信光『探偵物語』読了。

探偵物語 (幻冬舎文庫)

探偵物語 (幻冬舎文庫)

 瞠目すべきは作者の名前でしょう。小鷹信光。日本のハードボイルドを語るうえで欠かせない翻訳家のひとりですが、小説を書いているとは知りませんでした。しかもタイトルが『探偵物語』! テレビドラマ「探偵物語」といえば本格的なハードボイルドの雰囲気とメタフィクションなコメディが混じった異色作であり、悲劇の俳優松田優作の代表作としても知られています。ではなぜそのノベライズが小鷹信光なのかというと、どうやら企画段階でかかわっていたからだそうです。

 さて読んでいてまず思ったのは「文章がうまい」ということ。当たり前といえば当たり前ですが文体が非常にハードボイルドらしい。日本には豊かな翻訳小説の文化と歴史があり、1翻訳家の文体が単なる翻訳を超えて強い影響力を持つということがままあります。ハードボイルドならチャンドラー作品の清水俊二訳あたりがこの代表例ですね。ただ小鷹信光の翻訳がそのようなくくりで語られることはあまり聞かなかったので、本作において極めて独自な文体を確立しているのを見て驚いたのでした。もっとも小鷹信光は日本のハードボイルド文学を作ったひとりであり、その訳文を基にしてさまざまなハードボイルド作品が書かれているということを考えると、彼の文体が独特のそれと思えなかったのも当然かもしれません。つまりその文体が人口に膾炙した結果、オリジィナリティあるものと感じられなくなってしまった。例えるなら蛇口をひねれば水が出ることに慣れ切ったために、水やインフラのありがたみがわからなくなってしまうのと同じでしょう。

 文体には触れたので次は物語。本作の根幹にあるテーマは「家庭の悲劇」であり、非常にロス・マクドナルド的です。くわえてプロットが論理的に進行するよう組み立てられていることを考えると、本作はハードボイルド文学が文学の1ジャンルとして確立したあとのハードボイルド、より具体的には1950-60年代以降のハードボイルドを意識して作られていることがわかります。しかし例えばやや暴力的な描写や極端に誇張された登場人物など、要素において初期ハードボイルド的な特徴が現れます。つまり本作はあらゆる時期のハードボイルドのよいところをそれぞれつまみ食いした作品であり、翻訳家という立場からハードボイルドに面や点ではなく直線で付き合ってきた作者だからこそ書けたともいえます。またどのジャンルでもそうですが、ハードボイルド文学の創作は作者のハードボイルド観の表明であり、本作は作者小鷹信光にとって何がハードボイルドであり何がハードボイルドでないかを端的に示す資料となりうるはずです。

 文体にしろ物語にしろ創作作品は作者を雄弁に語ります。あるいは作者が自分の作品に自らの分身を注入するのかもしれません。その観点からすると本作にはハードボイルド的にきわめて豊かなものが注がれています。その片りんに触れようとするだけでも、本作には読む価値があったと思いました。

メールを送ってほしいという愚痴。

王様の耳はロバの耳。あるいは壁に耳あり障子に目あり。人に万が一でも知られてはまずいことは、胸の内にしまっておけという先人のありがたい教えですが――しかし愚痴というのは誰かに発散して初めてストレス解消になるもの。そこでわたしはこの場末ブログにオブラートに包まれた愚痴を吐き出すのです。

メールがこない! こないこないこないいいいいいい。しかも2通。ひどい。1通はとある日程に関するもの。スケジュールに関することはなるべく早くに送ってほしい。しかも重要度が高い(=出席せねばならない)イベントの日程がわからないせいで、そのイベントがありそうなあたりに予定を入れることができず、参加したかった別のイベントを見送らざるを得ませんでした……。

もう1通は人生にかかわること――というと大げさですが、わりに重要なタスクにかかわることであり、できるだけ早くからその対策を打ちたい類いのものです。予定では2月中に送られてくるはずでしたが、あと3時間足らずで3月になる現段階になってもメールは送られてきません。催促するのもはばかられ――というかそもそもどこに催促すればいいかわからん――非常に焦れた状況に置かれております。そのせいかしら、おなかが痛くなってきました。風邪やらインフルエンザやらが大流行しているこの時期にストレスをためさせないでほしい。体が弱って病気にでもなったらまったくしゃれになりません。

実は2通とも同じ組織から送られてくるはずのものです。年度末ということでばたばたしているのかしら。しかしメールを送ってこない理由にはなりませんよね……。勇気を出して催促してみようかしら。とはいえ向こうのほうが何倍も立場が上なんだよおおお。居丈高に思われたりして、下手を打つとまずいどころの騒ぎではない。一方わたしに大変な迷惑をこうむっているのもまた事実であり、それをなんとかせねばならないということもある。はてさてどうしたものか(´・ω・`)

大藪春彦『日銀ダイヤ作戦』読了。

日銀ダイヤ作戦 (角川文庫 緑 362-38)

日銀ダイヤ作戦 (角川文庫 緑 362-38)

 大藪春彦を代表する伊達邦彦シリーズの第3長編です。以前にも本ブログで伊達邦彦については扱っていたような……と思い調べてみましたが、扱っていませんでした。ただ初期短編集のひとつは記事にしており、その際言及しているようです。

 伊達邦彦は大藪春彦のデビュー作『野獣死すべし』(1958)において初登場しますが、その際は腕っぷしのきく大学院生にすぎませんでした。その後紆余曲折があり、本作ではイギリスの秘密エージェントとなって、日本銀行の金庫からダイヤモンド(総額250億円)を奪取する役回りを演じます――いやはや変貌しすぎですね。『野獣死すべし』では1000万円程度を強奪して大喜びしていた姿はいったいどこに行ってしまったのか。なかなか興味深いところです。

 伊達邦彦シリーズというより大藪春彦作品全般について、時代が進むにつれて関わる金額が大きくなり、国際性や謀略性が強くなっていきます。また『野獣死すべし』のころは青春小説的な趣が全般に出ていたものの、これも年々失われ、より痛快なエンターテイメントへとかじを切っていきます。そういう意味では本作は伊達邦彦シリーズおよび大藪春彦の転換期に位置するといえるかもしれません。

 また大藪春彦を語るうえで欠かせないのがセックス。大藪春彦作品の主人公はセックスアピールに満ち満ちており、気に入らない女を組み敷いて犯しているうちに女の方が従順になりだすというアダルトビデオも真っ青な展開がざらにあるのですが、こうした女性嫌悪的な男性性を発露する傾向は後年になって強くなるのであり、本作ではそれほど現れてはいません。もちろん伊達邦彦のセックスによって女性が籠絡される展開はあるものの、見かける女が片端から股を開くという極端なところまでいっておらず、そういう点でも本作は転換期にあたる作品といえるのではないでしょうか。

木々高太郎ほか『日本推理作家協会賞作品全集2 短編集1』読了。

日本推理作家協会賞受賞作全集 (2) (双葉文庫)

日本推理作家協会賞受賞作全集 (2) (双葉文庫)

 本作は日本推理作家協会賞受賞作(より正確には日本探偵作家クラブ賞受賞作)のうち、初期短編を集めたものになります。収録作は以下の通り。

  1. 木々高太郎新月』(第1回 短編賞[1948])
  2. 香山滋『海鰻荘奇談』(第1回 新人賞[1948])
  3. 山田風太郎『眼中の悪魔』(第2回 短編賞[1949])
  4. 山田風太郎『虚像淫楽』(第2回 短編賞[1949])
  5. 大坪砂夫『私刑(リンチ)』(第3回 短編賞[1950])
  6. 水谷準『ある決闘』(第5回 [1951])

 さて収録作の傾向ですが、おおきく2つに分かれます。まずは「文学派」。推理小説の枠組みを利用して純文学的なテーマを語る作品群で、1/5/6がこれに該当します。まあこれに関しては木々高太郎/大坪砂夫/水谷準という名前からもわかりますが。そして残る2/3/4は「怪奇派」に分類されます。いわゆるエログロというやつですね。3/4の山田風太郎はともかく、香山滋のデビュー作(2)が「怪奇派」的な作品であることは知りませんでした。

 どの作品も平均以上のクオリティでしたが、個人的に気に入ったのは1/3/4。まず1について。1950-60年代にかけて日本の推理小説界では、いわゆる本格推理小説を指向する一派と、高い文学性や芸術性を指向する一派に分かれ、激しい対立を繰り返していました。その代表的な事件が抜打座談会事件ですが、その後前者の一派が優勢になったということもあって、後者の作品はあまり読まれないという事態が現在でも続いています。大坪砂夫などは後者とはいえまだ読まれる方ですが……個人的には苦手(収録作の5もだめでした)。そのため坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとばかりに、後者に属する作家の作品から逃げていました。しかし1は非常に面白く読めました。確かに高い芸術性を目指してはいるものの、根っこの部分には探偵小説の基礎がしっかりとあり、そのためすんなりと受け入れることができたのかもしれません。ひるがえって考えると、大坪砂夫は探偵小説の部分をないがしろにしているということになりますが……。

 次に3/4について。怪奇的と称される探偵小説を書く作家はたくさんいますが、その怪奇性をいかに演出するかは作家ひとりひとりによって違います。たとえば収録作の2では奇妙な生物やそれにかかわるマッドサイエンティストが登場し、何とも言えない不気味さに満ちています。またこの手の創始者である江戸川乱歩であれば芸術至上主義な態度、ひるがえって人命すらも芸術の前にひれ伏す様子を生々しく書くことが、乱歩特有の怪奇性になっています。『パノラマ島奇譚』などはその究極形ですね。

江戸川乱歩全集 第2巻 パノラマ島綺譚 (光文社文庫)

江戸川乱歩全集 第2巻 パノラマ島綺譚 (光文社文庫)

 では3/4の作者である山田風太郎の怪奇性とは何か――それは「都会」です。山田風太郎というと『柳生忍法帖』など伝奇的な歴史小説が有名ですが、こと推理小説分野の作品となると非常に都会的になります。しかし一般にいわれるような「都会的な作風」ではなく、本来最先端な「都会」の裏にあるどろどろとした何かを描くタイプです。いわば「都会的なエログロ」であり、わたしはそうしたテーマに関心を持っている――というか非常に惹かれるのです。とりたてて都会出身でもなく、都会に住んだこともないのですが……。

柳生忍法帖(下) 山田風太郎忍法帖(10) (講談社文庫)

柳生忍法帖(下) 山田風太郎忍法帖(10) (講談社文庫)

柳生忍法帖(上) 山田風太郎忍法帖(9) (講談社文庫)

柳生忍法帖(上) 山田風太郎忍法帖(9) (講談社文庫)

 

田中光二『大いなる逃亡』読了。

大いなる逃亡 (徳間文庫)

大いなる逃亡 (徳間文庫)

 第74回直木三十五賞候補作。なお受賞作は佐木隆三復讐するは我にあり』。こちらはノンフィクションという批判をかわしながらフィクションの章をs受賞した傑作中の傑作なので、本作が直木賞を逃したのも当然というかなんというか。

復讐するは我にあり (文春文庫)

復讐するは我にあり (文春文庫)

 それはさておき。本作はいくつかの文庫やノベルスに収録されているようですが、わたしが読んだのは徳間文庫版。ただし絶版です。というか本作の文庫やノベルスは出版社をとわず軒並み絶版。一応は直木賞の候補作なのに……。時代に並走する大衆文学の無常を感じさせますね――となげいていたところ衝撃の事実が! 「冒険の森へ」という冒険小説の全集が集英社より刊行中で、その第5巻「極限の彼方」に本作の全文が掲載されているようです。

 ははあ。そういう全集があることはさることながら、本作が全集に収録されるほど冒険小説業界で評価されているとは知りませんでした。まあ確かに面白かったですし、直木賞候補になったということで歴史的な価値もあるのかもしれませんね。

 今日2度目の閑話休題。今日は脱線が多いですね。本作の見るべきポイントはその設定。なぜ逃亡するのか、そしてどこまで逃亡すべきなのか。そういった人を冒険に駆り立てる理由が非常にユニークかつ論理的に作りこまれています。たとえばヨーロッパ諸国であれば東西冷戦や旧植民地諸国との緊張関係などがあるので、それを根拠に人を冒険に追いやることは比較的簡単です。しかしひるがえって考えてみると、平和で安全な戦後日本において冒険をせねばならない事情があるかどうか。本作の設定の素晴らしいところはその困難さを乗り越えているところにあります。ここに作者の力量というか想像力の豊かさや実力があらわれていると思います。

 ここまで冒険の理由ばかりをほめてきましたが、その中身、すなわち冒険の過程もなかなか上質です。特にカーチェイスシーン。たとえそれが映像媒体でもカーチェイスを迫力たっぷりに見せるのは難しいと思いますが、文章ならなおさらでしょう。追うものと追われるものの心理状態や関係性、あるいはカーチェイスの理由や起承転結。そういった要素をわかりやすさとスピード感を失わずにかくことは至難の業。下手な作家なら上滑りしかねないテーマです。しかし本作ではそのような悩みは皆無。魅力的なカーチェイスが必然性をもって描かれていました。

ジェイムズ・クラムリー『酔いどれの誇り』読了。

酔いどれの誇り (ハヤカワ・ミステリ文庫)

酔いどれの誇り (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 いわゆるハードボイルドミステリに属する作風ながら、その文学性と芸術性から本国アメリカでは純文学としても高く評価されているジェイムズ・クラムリー。本作はクラムリー作品のなかでもとりわけ評価されている作品です。アメリカにおける事情はちょっと分かりかねるのですが、少なくとも日本においてジェイムズ・クラムリーというと本作があげられる場合が多いように思われます。

 個人的な考えとして、ハードボイルドミステリは大きく分けて次の2種類があると感じています。つまり「文章で読ませるもの」と「ストーリーで読ませるもの」のふたつ。前者の筆頭格はいうまでもなくレイモンド・チャンドラーでしょう。どの批評を見てもプロットにけちが付けられているチャンドラーの作品がハードボイルド文学の古典であり続けているのは、比喩やせりふに対するチャンドラー特有のセンスであることはいうまでもありません。対して後者の代表としてわたしの頭に浮かぶのはダシール・ハメットです。ハメットの乱暴で簡潔な文体も相当に魅力的ではありますが、ハメットが読み継がれている所以はやはりスピード感あふれる物語展開に他ならないと思います

ガラスの鍵 (光文社古典新訳文庫)

ガラスの鍵 (光文社古典新訳文庫)

 さて本作ですが、前者タイプ、すなわち「文章で読ませる」タイプのハードボイルドでした。とにかく文章がすばらしい。正直にいって500ページ以上ある割に話はふつうというか、少なくとも薄いという印象は受けます。しかしそれを差し引いても本作の価値が下がらないのは、ひとえに文章の巧みさにあるはずです。純文学としての評価もあるということで、原著の英語自体がよいものなのでしょう。しかしながらそれを質の高い日本語に訳してしまう翻訳者の腕にもしびれます。名訳といってよいでしょう。訳者は小鷹信光。日本のハードボイルドを語るうえでは絶対に欠かせない翻訳者のひとりです。

近況報告(+愚痴)。

2-3年ほど前だが、カウンセリングにかかっていたことがある。カウンセラーいわく「自律神経失調症」。当時のわたしは特に理由もなく不安になっては胸が苦しくなるほど心拍数が上がったり、脂汗を滝のようにかいたりしており、それは典型的な自律神経失調症の症状だったらしい。その後1年ほど週に1度のカウンセリングに通った結果、精神面は回復、ここ1年ほどはまったくの無事平穏に暮らしてきたのだが――最近になってあのときのような症状が再発しつつあるように感じている。つまり理由もなく不安に陥るのである。もっとも昔のように身体的な症状が出ていないのが救いであるが、しかしいつ再発してもおかしくない。

実のところ「再発」の理由ははっきりしている――大学卒業にかかわるストレスだ。わたしは大学5年生(就職留年している)であり、今年卒業なのだが、「本当に卒業できるのだろうか」という始終とりつかれている。「履修に失敗しているのではないか」「履修を管理するためのWebサイトの表示が誤っているのではないか」「すでに提出した卒業論文がリジェクトされるのではないか」――などなど、悩みというより被害妄想はまったくつきない。

わたしがふつうの4年生であれば、そのような杞憂に精神をすり減らすことはなかっただろう。少なくとももう少し気楽でいられたはずだ。しかしわたしは留年生であり、何があろうとこの3月に卒業せねばならない。単なる留年でも多くの人に迷惑をかけたのだ。これ以上留年はできないし、仮に留年してしまうと学部2留となり社会的な不利益がさすがに大きすぎる――いわば背水の陣にわたしはおり、それが多大なプレッシャーとストレスになっていることは想像に難くない。


ならば時がきて卒業が確定すればストレスから解放されるのだろうか――おそらくそれはない。わたしの杞憂あるいは妄想と原因となっているのは卒業がらみのことが大きいが、就職も要因として大きいことは否定できないからだ。もともとわたしはプログラマもしくはシステムエンジニアを希望して就職活動を行い、そこそこ知名度もある外資SIerから内定をもらったのだが、どうやら希望の職にはつけないということが明らかになりつつある。つまりSE/PG志望のはずが、ふたを開けてみると配属先は技術営業らしいのだ。

技術営業が悪い仕事とは思わない。会社の屋台骨を支えているのはかれらであることは間違いないだろう。しかしそれはわたしが希望する職種ではないのだ。入ろうとしている会社は外資系で知名度があり、給料もそこそこ、研修や福利厚生なども手厚いらしく、新卒カードを切るだけの価値は十分あったというのは今も間違っていないと思う。なにより散々迷惑をかけた両親が喜んでくれているのが、個人的にはとてもうれしい。しかし技術営業という職種に関心がわかないのもまた確かなのだ。面接や人事面談では開発を希望していることを告げたはずだが、どうしてこうなったのか。

新入社員はまるまる1年間研修なのだが、それだけ受けて転職することも考えている。「プログラマ35歳定年説」ということばがあり、時折その賛否が話題になるが、しかし若いうちが華である職業であることは間違いない。少なくとも十人並の自分の能力を考えると、プログラマとして最前線で働けるのは35歳かそこらまでだろう。いまのわたしは23歳。したがって「定年」まで12年間しかない。干支でいえばたった1周である。はっきりいって焦りしかない。

幸運にもこの日本には第2新卒という枠組みがあり、職業あっせん会社も力を入れている領域である。それにIT系はおりからの好景気で売り手市場と聞く。待遇さえ選り好みしなければ、希望するSEやPGとして働くことができるだろう。しかし「あのつらかった就職活動を働きながら続けねばらないのか」と考えると、今から憂鬱な気分になる。また仮に転職するにしても、当面は業務としてのコードを1行も書かない1年間を送らねばならない。長い人生のたった1年と考えれば短いかもしれないが、IT業界の1年は途方もなく長い。長すぎる。Rails8ぐらいになっていてもおかしくない。自分が技術営業として研修を受けている間、世界は何千歩何万歩と進み、自分だけ取り残される――そんなことを考えていると気が狂いそうになる。自律神経失調症もぶり返すわけだ。


もう一度カウンセリングなり精神科なりを受診すべきかしら? 大学にはカウンセリングの窓口があり、行くとすればそこだが、いつも予約でいっぱいなので、もうまもなく卒業する人間がかかるのはかなりしのびない。それに身体に悪影響が出ているわけではなく、日常生活もふつうに行えている(以前は影響ありまくり)ので、大金をはたいて外部のカウンセリングや心療内科にいくのもなあ……。もう少し様子を見て、悪くなるようならそのときにもう一度考えてみます。


昨年12月から糖質制限ダイエットを続けていたのですが――大成功しました! 具体的には2か月で12キロの減量。目標体重を超えましたが、もう少し続けようと思います。といっても今までのように朝昼晩糖質をほぼほぼ摂らないというスタイルではなく、「夜は今まで通り、朝と昼は控えめに」という程度にしておきます。ちょっと緩和するわけですね。「糖質は絶対悪で糖質制限は一生涯続けるべき」というような風潮もあるようですが、「人生それすなわち食べること、好物は麺類と甘いもの」というタイプの人間にはもう無理です(´・ω・`)

ちなみに太っていたからダイエットをしたわけですが、その太った理由は自律神経失調症にあります。いわゆる過食というやつですね(過食嘔吐ではない)。


今年になって始めたPythonですが――超面白いです! 自分にあっているような気がします。今はCheckIOとCodeIQを利用して基本的な文法や命令を手に覚えさせつつ、『エキスパートPythonプログラミング』の学習を進めています。ゆくゆくはオープンソースのコードリーディングをしたいと考えいますが、いつになることやら(´・ω・`)

エキスパートPythonプログラミング

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