nekoTheShadow’s diary

IT業界の片隅でひっそり生きるシステムエンジニアです(´・ω・`)

祖田修『鳥獣害: 動物たちと、どう向きあうか 』(岩波新書)

本書のよいところ&面白いところは、鳥獣害やそれに対する対策の単なる事例集に終わっていないことでしょう。もちろん事例は多数紹介されてはいるのだが、それらは考えるヒント程度にしかすぎず、むしろ本書の論点は「鳥獣害を起点として、自然と人間社会の関係性をふたたび問い直そう」というところにあります。またその問い直しにあたっても「問題提起」という点に終わらず、より具体的な社会設計にまで踏み込もうとするところも面白いところです。理想論やべき論をぶち上げるだけの本が多い中、その実現性はさておいても実践まで語ろうとする本書は珍しい類と思います。

現実の鳥獣害の事例に始まり、西洋および日本における自然と人間社会のかかわり方を思想的歴史的側面から整理した後、これからの未来へ向けてあるべき人間と自然の在り方とその実現方法を提示する。その結論のひとつとして、ゆるやかな経済成長の否定にまでいたってしまうのは、ややいただけないというか、筆が滑っているような気もしますが…もっとも「たまにきず」というやつで、その1点をもって本書の価値を全く損なってしまうというものではありません。良書でした。

また本題とは別に「菜食主義者に投げかけられがちな質問」すなわち「動物がかわいそうだからという理由で肉食を避けるならば、なぜおなじ生命を持つ植物は食べてよいのか?」という問題に関して、その思想をまとめた部分があり、大変勉強になりました。本書によると、西洋における動物の権利運動の「元ネタ」として『動物の心』という本があるようなのですが、その本では「植物は科学的に感情を持たないことが明らかだから食べてよい」と語られているそうです。また菜食主義の代表的な思想である仏教では「動物は有情、すなわち仏性を有数するが、植物は非情もしくは無情だから食べてよい」とあるらしく、またこのような菜食肯定ロジックがインドの文化的な風土とは相いれず、発祥の地で仏教が廃れてしまったという分析まで存在するとか。

何を食べるのかという選択それ自体が当人の思想の発露であり、きわめて政治的な行為です。肉食が一般的な日本社会において、あえて菜食主義を選択するということは通常以上の意味合いを持つことはいうまでもなく、その当事者はその選択の理由を理論武装しておかざるを得ません――などと小難しいことを考えてみましたが、そもそもわたしは菜食主義ではありません。すっかり忘れていたぜ(´・ω・`) そもそも牛角で腹いっぱい食べた後にこれを書いている人間が菜食主義についてどうこういう権利はないですよね(´・ω・`)