nekoTheShadow’s diary

IT業界の片隅でひっそり生きるシステムエンジニアです(´・ω・`)

ここ数か月で読んだ本に関する読書メモ

自分の趣味は読書で、読んだ本については簡単な読書メモを残し、とりわけ面白かった本についてはブログに掲載しているのだが、ここ数か月は高負荷のストレスがかかる仕事がつづいており、ブログ執筆が怠りがちでした(ブログはたいてい休日に書いているのだが、その休日はついつい寝て過ごしてしまう)。そんなつらい状況でも読書と読書メモは続けていたので、面白かったり印象に残っている本について、そのメモを世間様にさらしたいと思います(´・ω・`)


沈才彬『中国新興企業の正体』(角川新書)

中国新興企業の正体 (角川新書)

中国新興企業の正体 (角川新書)

以前に『現代中国経営者列伝』という本を読んだのが、本書も同種の本で、成長中の中国企業が紹介されている。『現代中国経営者列伝』は企業そのものより企業のトップに焦点を当てていたが、本書は企業そのものの紹介が多く、また中国でしかサービスを展開していない企業も取り上げられている。「そうした企業がなぜ伸びているのか」という分析にまで踏み込んでいる本ではないので、読み物として読むと面白いと思う。

小山聡子『浄土真宗とは何か: 親鸞の教えとその系譜 』(中公新書)

タイトルを見ると、まるで浄土真宗全般について扱っているように思えるが、実際は浄土真宗の宗祖である親鸞に関する議論が中心。浄土真宗というと、他力本願の思想や加持祈祷の否定などが知られるが、では親鸞はそうした考えを徹頭徹尾、厳格に実践することができたのだろうか? 本書によれば、それは否で、親鸞もひとりのにんげんでしかなかった--というといいすぎであるが、少なくとも親鸞が生きた当時の風潮からは逃げきれなかったということがよくわかるのである。

鈴木透『スポーツ国家アメリカ: 民主主義と巨大ビジネスのはざまで』(中公新書)

スポーツという観点からアメリカはどのように見えるのか、あるいはアメリカの政治や文化がスポーツにどのような影響をあたえているのか、という話題について、いくつかの雑多なテーマを紹介している。とくにアメリカにおける女性とスポーツについて扱った章は勉強になった。オムニバス形式で「大学の講義にありそうだな」なんて思いながら読んだのだが、あとがきによると、本書は筆者の大学での講義をベースにしているらしい。

高槻泰郎『大坂堂島米市場: 江戸幕府 vs 市場経済』(講談社現代新書)

江戸時代には「天下の台所」と呼ばれ、そのイメージは現代の大阪=商人の町として色濃く残っているわけだが、ではなぜ大坂が「天下の台所」と呼ばれたのかというと、本書が扱う堂島の米市場があったからである。詳しい内容はさておき、当時の大坂に高度に発達した先物市場があり、現代のそれと比べてもそん色がないというのには驚かされる。

古野まほろ『警察手帳』(新潮新書)

警察手帳 (新潮新書)

警察手帳 (新潮新書)

交番勤務のおまわりさんから、キャリア入省の警察官僚、はては警視総監まで、警察官であれば必ず持っているのが警察手帳であるが、その警察手帳をタイトルに関した本書は警察官の日常について、軽い読み物調にまとめている。正義の番人、法の執行官である警察官も皮をむいてみれば、ひとりのサラリーマンに過ぎない。サラリーマンとしての警察官の日常を知るには面白い1冊だといえよう。

広中一成『牟田口廉也: 「愚将」はいかにして生み出されたのか』(星海社新書)

牟田口廉也といえば、日本陸軍きっての愚将であり、なかでも無謀かつ杜撰なインパール作戦を立案、その指揮を執った結果、多くの人命をうしなったことでよく知られている。本書はその牟田口廉也の評伝で、色眼鏡で見がちな牟田口の生涯を冷静に描こうとしている。個人的に意外だったのは、彼が実践経験豊富な現場型の将官で、盧溝橋事件では現地指揮官として戦線拡大を行い、、マレー戦線ではいくつもの勝利をおさめ、マスコミからは常勝将軍としてもてはやされていたこと。インパール作戦のような無謀な作戦をやるぐらいだから、現場なんて見たこともない官僚型の人間だと思っていたのだが、どうやら違うらしい。

本書はインパール作戦の失敗を牟田口の個人的資質を第一に見ている。要するにそれだけの作戦を指揮立案するだけの器ではなかったということだ。しかし無能な牟田口をそれだけの地位に押し込んだのは日本陸軍であり、牟田口は与えられた職責をまじめにこなしただけということもできる。またインパール作戦の実行にあっては、予定段階から無謀とわかっていたということもあり、多くの参謀が自らの責任に及ばないよう立ち振る舞っている。インパール作戦は確かに牟田口の資質が問題だったわけだが、その背景には日本陸軍の組織や人事に問題があったということがよくわかる。

森本あんり『異端の時代: 正統のかたちをもとめて』(岩波新書)

異端の時代――正統のかたちを求めて (岩波新書)

異端の時代――正統のかたちを求めて (岩波新書)

丸山眞男・初期教会・アメリカ合衆国建国をベースとして、そもそも異端とは何か・正統とは何かというところから議論がはじまるのだが、個人的に関心をもって読んだのがこの部分。まずみんなが正しいと思っていることがあり、この「みんなが正しいと思っていること」を囲む線が引かれて、その内側にあるのが正統、外側にあるのが異端になるというのである。まず線が引かれて、正統と異端が人工的に決められるという類の議論を耳にするが、歴史的にはそれは間違っている。正統が正統としていられるのは、結局はみんなが支持するからであり、みんなが支持するのは正統のほうが異端に比べると、よくもわるくも不真面目でゆるふわだからである。

本書の議論によれば、異端とはまじめで寛容ではなく、自ら意思をもって選び取る必要がある存在なのだという。さて現代社会は自ら選択することが求められる時代である。マックス・ウェーバーは脱魔術化の時代といったが、科学技術や自由主義の発展にともなって、自らの選択できる余地が増えつつある。そうしたみなが選択を行う社会はすなわち、総異端社会の到来であり、言い換えれば正統が失われた社会だといえる。

堀川恵子『教誨師』(講談社文庫)

教誨師 (講談社文庫)

教誨師 (講談社文庫)

宗教の視点から受刑者に反省と償いを促すことを教誨といい、それに携わる宗教家を教誨師という。本書は教誨師の中でも、確定死刑囚に対する教誨に長年携わった浄土真宗の僧侶が残したインタビューと日記に基づく記録である。読んでいて楽しい、心躍るというタイプの本ではないが、他社の生命を奪い、その代償として生命を奪われる人間に更生を促す難しさと奥深さを考えてしまう。

団鬼六真剣師 小池重明』(幻冬舎アウトロー文庫)

真剣師小池重明 (幻冬舎アウトロー文庫)

真剣師小池重明 (幻冬舎アウトロー文庫)

真剣師とは賭け将棋で生計を立てる職業であり、本書は「新宿の殺し屋」という異名をとった伝説の真剣師である小池重明の記録である。小池はプロ顔負け、というかプロさえ打ち負かす実力を持ちながら、飲む・買う・打つにはまったくだらしない。無頼派・破滅型の天才の生きざまには、なんともいない哀愁がただよっており、きわめてよくできた文学なのである。事実は小説より奇なりとはよく言ったものである。

山本譲司累犯障害者』(新潮文庫)

累犯障害者 (新潮文庫)

累犯障害者 (新潮文庫)

刑務所がどこにも行き場がない社会的弱者の受け入れ先になっている、ということは最近になってよく指摘されているが、本書は弱者のうちでも障害者がテーマである。福祉につながっていればよいが、そうではない場合、微罪を繰り返し、刑務所に何度も入ることで生き残るほかない。刑務所が最後のセーフティーネットなのだが、個人的に衝撃だったのは、警察や検察や裁判所はそうした実態を漠然と把握しており、障害者をやむなく受刑させていることが多々あるということだ。

小谷野敦江藤淳大江健三郎』(ちくま文庫)

大江健三郎といえばノーベル文学賞を受賞した小説家である一方、戦後民主主義派の朝日岩波系文化人として、現在でも言論界に強い影響力を有している。対して江藤淳保守系の文芸評論家として活動、その思想は現代の保守系文化人にも影響を与えている。本書はそうした思想的には対極にあるふたりの文学者のダブル評伝で、面白いのは筆者が「江藤は死ぬほどきらいだが、大江のことは尊敬してやまない(ただし思想は除く)」という態度を貫いていること。そんなに「江藤のことを嫌わなくても」と思いつつ、そうしたバイアスを除いても、江藤が俗物根性の持ち主であったことがよくわかる。

本田靖春『誘拐』(ちくま文庫)

誘拐 (ちくま文庫)

誘拐 (ちくま文庫)

いわゆる「吉展ちゃん誘拐殺人事件」の顛末を描いたドキュメンタリー。この事件は"落としの八兵衛"こと平塚八兵衛の活躍にスポットライトがあてられることが多いのだが、本書は事件の発生から解決までの一連の流れを整理しており、平塚の活躍についても事件の一要素程度にしか扱われていない。細部にいたるまで丹念に取材されているため、読んでいて臨場感を感じる一方、明るい面ばかりが語られる高度経済成長にもある種の暗部や闇があったことにも思いを巡らせてしまった。

中村高寛ヨコハマメリー: かつて白化粧の老娼婦がいた 』(河出書房新社)

かつて横浜には通称"メリーさん"と呼ばれるホームレスがおり、横浜市民のなかでは半ば都市伝説化していたのだという。その"メリーさん"を題材にしたドキュメンタリー映画があるのだが、本書はその映画の監督が書いたもので、"メリーさん"に関する記述が半分、映画撮影時の身辺雑記的記述が半分という内容になっている。映画自体も"メリーさん"本人よりはむしろ"メリーさん"に関係する人の記録というややポストモダンじみた内容だったらしく、"メリーさん"自体や"メリーさん"を生み出した背景などを知りたいという人にはやや肩透かしかもしれない。

神山典士『ペテン師と天才: 佐村河内事件の全貌』(文藝春秋)

ペテン師と天才 佐村河内事件の全貌

ペテン師と天才 佐村河内事件の全貌

筆者はいわゆる佐村河内騒動を最初にスクープしたライターで、本書はそのスクープの元になった週刊文春の記事をもとに執筆されたものである。読んでいてわかるのは佐村河内という男が出世欲と虚栄心にまみれた病的な嘘つきであるということ。それに加担した新垣隆の罪も重いが、しかし本書によると、ゴーストライターであっても、自分の作った曲が多くの人に聞いてもらえるという誘惑には勝てなかったのだという。こういう騒動があっても、新垣には才能と能力がある。では佐村河内には何があるのか? それが悲しい本書の結末である。

ゲイ・タリーズ『覗くモーテル観察日誌』(文藝春秋)

覗くモーテル 観察日誌

覗くモーテル 観察日誌

幼いころよりのぞき願望にとらわれた男がモーテル経営者となり、以降30年間の長きにわたって、モーテルの個室を覗き、記録を取り続けた--というにわかには信じがたい事実のドキュメンタリーである。覗き男の興味関心がセックスにあったため、話題はセックス関連に偏っているが、時代によってセックスに対する人々の価値観が変わっていくのは面白い。そうまじめに読まなくても、他人の性行為を覗き見るというインモラルな行為をエンターテイメント的に楽しむのもよいだろう。

本村凌二『教養としての「ローマ史」の読み方』(PHP研究所)

教養としての「ローマ史」の読み方

教養としての「ローマ史」の読み方

全体的なテイストとしては、ビジネス教養書といってよいだろう。新書にありがちな、やや通俗寄りの学術書を期待していると失敗する。タイトルにある通り、本書はローマ帝国の誕生から滅亡までを概観するというもので、通史ではない分、詳細な理解にはつながらないが、ローマの歴史を概観で知るぶんにはこれで十分だと思う。まさしく「教養としての」という修飾語がピッタリである。

『忘れられたベストセラー作家』(イースト・プレス)

忘れられたベストセラー作家

忘れられたベストセラー作家

小説をあまり読まない人からすると、あまり理解できない感覚かもしれないが、とくに通俗小説や大衆小説のジャンルにおいては、99%の小説と小説家は年月がたつにつれて読まれなくなっていく。こうした「読まれなくなった」状態をよく「忘れられた」というが、本書はそうした「忘れられた」作家や作品について、やや雑多にまとめたものである。エッセイテイストで読みやすいといこともあり、文学に興味がある人は読んで損にはならないと思う。

呉座勇一『戦争の日本中世史: 「下剋上」は本当にあったのか』(新潮選書)

戦争の日本中世史: 「下剋上」は本当にあったのか (新潮選書)

戦争の日本中世史: 「下剋上」は本当にあったのか (新潮選書)

タイトルからは中世に行われた個々の戦争の戦術や背景を解説する本かのように思われるが、実際には戦争が中世社会にどのような影響を与えたのかについて、丁寧に議論を進めた1冊である。本書がやり玉に挙げるのは唯物史観マルクス主義といいかえてもいいだろう。戦後の日本史学界は先の大戦の反省もあって、唯物史観に強く染まっており、中世史を見る目を曇らせてきたというのが本書の主張である。とくに「悪党」について扱っている章では「『悪党』という存在が英雄視されるほどのものなのか」「そもそも『悪党』なんていたのか」というところまで踏み込んでおり、その議論の斬新さと緻密さについては、知的好奇心を喚起させられた。