nekoTheShadow’s diary

IT業界の片隅でひっそり生きるシステムエンジニアです(´・ω・`)

山平重樹『闘いいまだ終わらず: 現代浪華遊侠伝・川口和秀』(幻冬舎アウトロー文庫)

お断り: 本作はいわゆる暴力団の組長を肯定的に描いた作品であり、実録という形をとってはいるものの、その内容がどこまで信用できるかについては議論の余地がある。以下に好意的な書評・感想を述べるが、これは本作の内容をすべて信じているということではない。また本作に肯定的であるからといって、現代の暴力団排除の風潮に反対するわけではないし、ましてや暴力団の存在すべてを肯定するということを意味しない。ただし、社会的に排除されるべき暴力団を肯定的に描いているからといって、その作品に価値がないという価値観にはくみしない。要は是々非々である。

2-3年前ほどになるが、『ヤクザと憲法』というドキュメンタリーが話題になったことがある。これは東海テレビのクルーが2代目東組の2次団体2代目清勇会に東海テレビのクルーが100日間密着、その日常生活を撮影するというもので、暴対法や暴排条例がどれほど法の下の平等に反しているか、警察権力や国家権力がやくざや暴力団という存在に対してどれほどまでに横暴にふるまっているのかがよくわかる、とてもよくできたドキュメンタリーだった。さてこの『ヤクザと憲法』の密着先である清勇会の会長であり、ドキュメンタリーでも中心的な役割を果たしていた人物が本書の主人公である。なお本書は読んでいると評伝のように思える(それほど綿密に取材をしている)が、一応は実録小説ということなので、その中心人物は「主人公」ということになる。

本書のタイトルは『闘いいまだ終わらず: 現代浪華遊侠伝・川口和秀』というものだが、これは文庫になった際に改題されたもので、単行本時代は『冤罪・キャッツアイ事件: ヤクザであることが罪だったのか』というタイトルで刊行されていた。いわゆる「キャッツアイ事件」というと暴力団や反社に関心がある人にはよく知られた事件で、昭和60年兵庫県尼崎市のスナック「キャッツアイ」にて、清勇会組員が当時抗争中だった山口組系倉本組組員に対して発砲。倉本組組員は重傷だったが、店内にいた当時19歳のホステスに流れ弾が命中し、運悪く彼女は帰らぬ人となってしまう。その痛ましさから暴対法制定のきっかけとなった事件で、主人公はこれを首謀したとして15年の懲役を余儀なくされてしまう。

しかしこれは冤罪であった。主人公は腎結石持ちで、実行犯2名に犯行を指示したとされる日は入院していたのである。要はアリバイがあるのだが、しかし警察としては末端組員2名を捕まえてもつまらない。そこで実行犯に対する拷問や恐喝に近い取り調べを行って「会長からの指示があった」という供述を引き出して、主人公を無理やり逮捕(なお実行犯と主人公の間にはいさかいがあり、これも実行犯が虚偽の証言をする動機のひとつになっている)。検察は警察とツーカーの中であるから、証拠不十分とわかっていて起訴に持ち込み、裁判所は「相手はやくざだからやったに違いない」と決め込んで、道理の通らない有罪判決を下してしまう。実は公判中に実行犯自ら虚偽の証言をしたことを告白するのだが、裁判所はこれに取り合おうともしない。日本の警察や司法が腐りきっていて、日本社会において法の下の平等というのは美辞麗句に過ぎないことが痛感させられる。

警察や検察や裁判所もさることながら、拘置所や刑務所もなかなかのひどさである。施設の方針や担当者の気分次第で法律上は当然通るべき理屈が通らないというのは序の口。ひどいものだと、受刑者に対する人権侵害や暴力が権力によって握りつぶされてしまう。やってもいない罪で収監され、22年の懲役を過ごす刑務所は無法地帯。再審請求をしても、やくざだからという理由ではねつけられる--絶望的としかいいようがない状態で、なぜ気を確かに生きていられるのかというと、それは筋の通った任侠だからとしかいいようがない。よく「筋の通った極道」といういいかたがなされるが、主人公はまさしくそれである。やくざというと反社会性ばかりが強調され、そしてそれは多くの場合で間違っていないのだが、その義侠心ゆえに曲がったことが許せず、代議士や官吏や知識人が自分たちに都合よく定めた秩序へ反抗し、結果として反社の烙印が下されるという侠客もなかにはいるのかもしれない。