nekoTheShadow’s diary

IT業界の片隅でひっそり生きるシステムエンジニアです(´・ω・`)

ジャン=バティスト・マレ『トマト缶の黒い真実』(太田出版)を読んだ。

トマト缶の黒い真実 (ヒストリカル・スタディーズ)

トマト缶の黒い真実 (ヒストリカル・スタディーズ)

いまや日本の食卓にすら欠かせなくなりつつあるトマト缶。その原料となるトマトも含めて、どこからやってきて、どのように加工され、そしてどうやって食卓に届いているのかを追いかけてルポタージュが本書である。タイトルに「黒い真実」とあるように、その真相はまったく楽しいものではない。トマト缶を買う気すら失せるレベルである。

たとえばイタリア産やアメリカ産とラベルされたトマト缶が日本の片田舎のスーパーにすら並んでいるわけだが、これは原材料であるトマトがイタリアやアメリカで収穫されたということを意味しない。世界中から前歴不問・正体不明のトマトペーストを集めたあと、これに添加物や化学薬品をたっぷり混ぜて(ときにはトマトの割合以上に混ぜ物をするという)、イタリアやアメリカの工場で缶詰に詰めれば、そのトマト缶は晴れて「イタリア産」「アメリカ産」となる。原料となるトマト自体も、品種改良と遺伝子組み換えを活用して作られた、トマトペーストに特化した品種で、農薬が利用されたかどうかも判然としないような環境で栽培されている。

「トマト缶を買う気すら失せるレベル」としたが、これは単に「食の安全」に限ったことではない。トマト農園や缶詰工場はときにマフィアと結託して、児童や不法移民あるいは非正規労働者を活用。コストを可能な限り抑えつつ、圧力団体として政府を動かし、無茶苦茶なビジネスの横やりを通してしまう。

本書を読んで見えてくるのは、安くてうまくて便利なトマト缶が新自由主義とグローバリゼーションの申し子ということである。新自由主義は門地身分にかかわらない自由な経済競争を、グローバリゼーションは国境を越えた自由な移動をひとびとにもたらす--はずだったが、そのふたつが結託した結果、すさまじい経済格差と「階級」の固定化、あるいは新植民地主義としかいいようがない地域格差が出現したことはよく指摘されている通り。いわば新自由主義とグローバリゼーションの負の側面がトマト缶に表出しているのである。

ところで本書を面白くしているのは、こうした「ショッキングな真相の暴露」というセンセーショナルな観点だけではないということは断っておきたい。本書はノンフィクション作品ではあるが、構成がかなり練られていると感じる。最初のうちは情報が断片的にしか与えられない。これを読み続けていると、その断片的な情報が少しづつリンクし、読み終わって初めて全体像が明らかになる。冒険小説や推理小説顔負けといってよいだろう。また筆者は真相を探るべく、中国の新疆ウイグル自治区やヨーロッパあるいはアフリカなど、世界中を飛び回る。さながら世界をまたにかけるスパイであり、その雄大さが本書を読ませる原動力になっているといってよいだろう。