nekoTheShadow’s diary

IT業界の片隅でひっそり生きるシステムエンジニアです(´・ω・`)

藤井誠二『黙秘の壁: 名古屋・漫画喫茶女性従業員はなぜ死んだのか』(潮出版社)を読んだ。

黙秘権が被告人の権利であるということは中学高校の社会科レベルの常識であるが、加害者の権利を守るという性質上、否応なく被害者の権利とは衝突してしまう。本書は黙秘権が「衝突」を通り越して、被害者や被害者遺族の権利を「踏みにじった」といわざるをえない、とある事件のルポタージュである。

事件はインターネットカフェを経営していた夫婦がそのパート従業員を死に至らしめ、その死体を遺棄したというものである。この加害者夫婦は被害者女性に対して、凄惨な暴力を恒常的に加えることで、彼女を奴隷的な拘束下に置き、常軌を逸した長時間労働や給料の未払い、経営費用の肩代わりなどを数年にわたって強制していた(明記されないが、そのような奴隷扱いを長期間受けた結果、被害者女性は精神に異常をきたしていたようである)。その挙句に日常的な暴力の延長で被害者女性を死に至らしめ、その遺体を山中に遺棄するのである。ここで加害者夫婦は告白書のようなものをしたためており、自らが殺害したことを書面上は認めているのだが、裁判では黙秘権を行使。警察や検察も殺人としては立件できず、結果としては死体遺棄として2年そこらの懲役にしか問えなかった。つまり人ひとりを殺したことが明らかにもかかわらず、2年も過ぎれば娑婆で自由の身。鬼畜外道・人面獣心の所業としか言いようがない。

被害者遺族を傷つけるのは、殺人者が殺人者として裁かれなかったことだけではなく、真実が明らかにならなかったことである。愛娘の最期がどのようなものであったのかを知りたいというのは人の親として当然の感情だろう。しかしその最期を知る人間は黙秘権をたてに何もしゃべろうとしない。また真実を知るべく、さまざまに活動してみても、加害者の代理人である弁護士があの手この手でこれを妨害。ときには被害者女性の名誉を踏みにじってまで、加害者の権利を擁護する。これが加害者の権利であり弁護士の仕事であるとわかっていても、残るのはわりきれない気持ちばかり。「刑事がだめなら民事で償ってもらう」というのも被害者遺族の当然の権利であり、実際に民事裁判では加害者が死に至らしめたことが認定され、相応の賠償が命ぜられるのだが、加害者は1円たりとも払う意思を見せていないという。

とりわけ冤罪の防止という観点から黙秘権というのは市民社会にとって重要な権利であることは承知しているし、実際、本書もそのスタンスである。しかしだからといって被害者やその遺族の権利をないがしろにしてよいか、と問われるとそれは違うだろう。被告人の権利を守りつつ、被害者の権利や名誉や損害も十分に回復できるような仕組みがあればよいのだが、わたしには思いつかない。わたしごときが思いつく程度であれば、だれも苦労しないし、悲しい思いもしないのである。

ところで自白の強要を防ぐべく、取り調べの全面可視化が大いに議論されている。しかし自白の様子が映像という言い逃れのできない形式で記録されるということは、かならずしも被告人に有利に働くとは限らない。たとえば「自白の強要があった」として無罪を主張するようなことは、取り調べが可視化されると難しくなる。本書によると、日本弁護士会はそういう情勢を見据えて、刑事裁判において黙秘権を積極的に活用するように呼びかけているという。要するに本書が取り上げた事件のようなこと、すなわち黙秘権により被害者の権利が黙殺されたり踏みにじられたりするということが、今後頻繁に起きてもおかしくないのである。長い間日本では、犯罪捜査や刑事裁判において被害者や遺族の権利はないがしろにされており、近年になってようやく権利意識が高まってきたということはよく知られているが、今後それが後退するかもしれないとなると、暗い気持ちにならざるをえない。