nekoTheShadow’s diary

IT業界の片隅でひっそり生きるシステムエンジニアです(´・ω・`)

安田峰俊『八九六四 :「天安門事件」は再び起きるか』(角川書店)

タイトルからもわかる通り、本書のメインテーマは天安門事件で、その当時に天安門事件に何らかのかかわりを持っていた人の生の声を多数記録しているというところに特徴がある。天安門事件というと「民主化という高邁な目標を掲げた、高潔で無抵抗な学生たちを武力に弾圧し虐殺した」というような評価をしがちであるが、本書を読むと、それほど単純には割り切れない、複雑な位相が見えてくる。なかには真剣に民主化をこころざしたものもいたかもしれないが、お祭り騒ぎ的・野次馬的に参加したものもいれば、あるのは反骨精神で、運動のスローガンをなにひとつ理解していないようなものもいたようだ。烏合の衆とまではいわないものの、かならずしも統率された運動ではなかったというのは確かだったらしい。また「学生」といっても、当時の大学生は超がつくほどのエリート。裕福な家の子息も多く「西洋かぶれのぼんぼんが騒いだ結果、親にお仕置きされた」という評価もある一面の真実ではあるのかもしれない。

天安門事件に参加した人間のその後もさまざまで、社会的経済的に成功をおさめたものもいれば、底辺をさまよいつづけているものもいる。ただ「成功」したものほど、天安門事件共産党側の対応を肯定的に見る向きが多いのは、意外ではあるものの、納得せざるを得なかった。つまり「あのとき民主化を拒んだからこそ、いまの中国の経済成長があるのだ」という理屈である。

民主主義を奉ずる西欧諸国(+日本)が経済的に行き詰まりを見せるなか、成長を見せているのは中国・ベトナムラオスなどの共産主義国(=共産党による一党独裁)、軍事政権が支配するミャンマーやアフリカ諸国、そして政教一致を是とするイスラム諸国で、そのいずれも西洋近代的な価値観を拒否している国ばかりである。またエジプトを中心とした中東諸国の民主化運動が「アラブの春」「ジャスミン革命」などといって、一時期えらくもてはやされたが、時間がたってみればその多くが失敗し、無用な混乱を招いただけであった。

一応は民主主義である日本社会に育ったわたしですら、このような事実を見ていると「民主主義のもとで飢えて死ぬよりは、人権を引き換えに豊かな生活を送るのも悪くない」と思いがちではある。ここ20-30年の、史上まれにみる経済成長を肌で感じた人にとっては「天安門事件を弾圧して正解だった」というのはかなりのリアリティを持つに違いない。

本書に深みを持たせているのは、いわゆる雨傘運動の当事者にも取材していることだろう。雨傘運動の当事者たちは天安門事件に直接関与してはいないものの、「同じ学生が民主化を求めてデモをする」という点では似通った性質を持っている。そのかれらが天安門事件をどのように評価しているのか? その生の声が天安門事件に対する別の切り口が提示しているし、またそこから香港と北京の間にある、地理的歴史的経済的にアンビバレントな関係性も見えている。

明確に示されることはないものの、全体を通して筆者の苦労とその取材力の高さが伝わってくる1冊である。素材やアプローチもそうだが、本書に単なるインタビュー集・記録集以上の価値を持たせているのは、ひとえに筆者の取材の力量であろう。ひとりの読書人として興味深く読んだし、おそらく学術的にも価値があるもののと思われる。