nekoTheShadow’s diary

IT業界の片隅でひっそり生きるシステムエンジニアです(´・ω・`)

読書メモ: GWに読んだ本

盆暮れ正月そしてGWは日本の社会人a.k.a.社畜にとっては唯一の休息であり、旅行に出かけたり趣味に没頭したりする人も多い中、個人的には実家でひたすらだらだらしながら本を読むと相場が決まっている。以下は自分流GWの過ごし方の中で読んだ本に関する読書メモになります。

木村光彦『日本統治下の朝鮮 統計と実証研究は何を語るか』(中公新書)

戦前日本の朝鮮支配に関する書籍はあまた存在するが、その内容はどうしてもイデオロギッシュになりがちで、本書のように「朝鮮支配を植民地経営としてみたとき、その実態はどのようなものであったかを実証的に検証する」ものは珍しいのではないか? まるでコンピュータのように事実だけを淡々と述べており、非常に好感が持てる。本書の結論は「比較的低コストで朝鮮の治安を維持し、急激な工業化を達成したが、戦時経済によって急激な歪みを生じ、結果として戦後の日朝日韓関係を複雑化する原因になった」というものだが、ここにいたるまで膨大な統計資料と実証研究に言及しており、たいへん納得感のある結論になっていると個人的には感じた。

黒崎真『マーティン・ルーサー・キング --非暴力の闘士』(岩波新書)

"I have a dream"演説で有名なキング牧師の評伝である。公民権運動のリーダーあるいはアイコンで、非暴力と市民的不服従を説いたというのが一般的な理解であるが、その人生や人物像はよく知られていないというのが実態ではないか? 少なくともわたしはそうで、とりわけ晩年のキング牧師ベトナム戦争や貧困問題にもコミットしていたというのが意外に感じられた。黒人差別の闘士というのは彼の一面に過ぎず、非暴力を武器にあらゆる社会的不正義と戦おうとしたのである。ただ本書には運動をシングルイシューにできなかったがゆえの失敗も多く語られており、社会運動の難しさを感じさせられた。

平岡昭利『アホウドリを追った日本人 --一攫千金の夢と南洋進出』(岩波新書)

日本地図を見ると、太平洋や南シナ海に「絶海の孤島」がいくつもあって、そこには少なからず日本人が住んでいる。現代的な都市住民からすると、どう考えても不便でメリットもないような土地であり、なぜそのようなところに日本人が住むようになったのか、むかしから不思議だったのだが、本書によってその謎は氷解した。原因はアホウドリ。この羽毛やはく製あるいはグアノは高額で取引される一方、その採取が簡単かつ元手もかからないとあって、多くの日本人が一攫千金を目指して孤島へ飛び出ていったのである。これを本書はゴールドラッシュにかけて「バードラッシュ」と呼ぶが、そのような事実自体を知らなかったので、たいへん勉強になった。

美川圭『院政 もうひとつの天皇制』(中公新書)

現役の天皇ではなく、現役を退いた天皇が権力をもつ。冷静に考えてみると、院政というのは奇妙なシステムではあるが、ではなぜそのような奇妙なシステムが成立したのか? そしてその奇妙なシステムはどのように運営され、変化し、そして消滅していったのか? 本書はそうした院政の概要がてごろな分量でまとめられている。ひとついえるのは院政の最大の動機は皇統の維持。つまり自らの皇統を確実に次世代の天皇とするため、上皇という立場で皇位決定権を握ってしまうのである。皇位決定権が朝廷から幕府に移ってからは制度として形骸化、近代になると制度自体消えてなくなった--と思いきや、ここにきて今上陛下の退位問題が話題になっており、今改めて読んでおくべき1冊なのかもしれない。

原武史『滝山コミューン一九七四』(講談社文庫)

本書は筆者が小学生時代に経験した「学級集団づくり」をまとめたものである。「学級集団づくり」とは学校を生徒による民主集中的な自治組織へ変革することを目的とする、当時としては最先端の教育スタイルで、班競争や委員会活動や生徒会活動を重んじる点に特徴があるのだが、筆者にはこれがたいへん息苦しかったらしい。読者も読んでいてかなり息が詰まるし、このような苛烈としか思えない教育がもてはやされていたことに驚きも覚える。ただし筆者もエクスキューズしている通り、これほど純粋な「学級集団づくり」が成立しえたのは往時の滝山団地がきわめて特殊な空間だったからだが、しかしその特殊性を皮肉って「コミューン」としたのかもしれない。

溝口敦『ヤクザ崩壊 半グレ勃興 地殻変動する日本組織犯罪地図』(講談社+α文庫)

市川海老蔵朝青龍といった著名人が次々暴行され、その犯人が関東連合の一味だった--というニュースが世間を騒がせたのは記憶に新しいが、関東連合に代表される半グレ集団に注目が集まりはじめたのがちょうどそのころではなかったか。タイトルのわりに半グレそのものの記述は少なめで、その半グレの勃興が暴力団にどのような影響を与えたのかが本書の中心になっている。初版が2011年、文庫版が2015年のため、本書の内容が2018年の現代にそのまま通用するわけではないが、その当時の雰囲気はよく伝わってくる。また本書は暴力団のマフィア化・反グレ化を予想しているが、2018年の今読んでみると、その予想はおおむね正しいように思われる。

ウィリアム・アイリッシュ『黒いカーテン』(東京創元文庫)

ウィリアム・アイリッシュコーネル・ウールリッチ名義で発表した中編小説である。ウィリアム・アイリッシュといえば『幻の女』の人気が高い、というよりそれぐらいしか翻訳が手に入らないという状態が続いてきたので、新訳でないにしろ作品が手に入るのは喜ばしい。感想としてはアイリッシュらしいサスペンスとでもいうべきか。スピーディーな展開のなか、追い詰められていく主人公。それを手に汗握りながら読んでいると、最後には意外な結末が訪れる。これだけだと優秀な娯楽小説だが、そのなかに何とも言えない寂寞観、寂寥感にあふれており、作品の芸術性を高めているのである。