nekoTheShadow’s diary

IT業界の片隅でひっそり生きるシステムエンジニアです(´・ω・`)

ここ2-3か月の読書メモ: フィクション

本記事はこれの続きであると勝手に位置付けているのだが、内容的に連続する部分はまったくない。これは持論なのだが、フィクションはこころの余裕がないと楽しめないものと考えている。つらつらと述べられる事実をひたすら頭にしまいこんでいくノンフィクションに比べると、フィクションは読者の心のなかで組み立てなければならない部分が多い。IKEAの家具を組み立てるのにある程度のスペースが必要であるように、フィクションの「組み立て」には心の余裕が必要だということである。

SIerのSEという現代の3K職場にいると、長時間労働や対顧客対応やスパゲッティコードのせいで、心の余裕が削られがちである。とはいえ精神的に楽になるときもあって、そういう場合には小説を楽しむだけの気持ちの余裕が生まれる。以下はその余裕があるときに読んだフィクション作品の読書メモである。

ロス・マクドナルド『動く標的』(創元推理文庫)

ロス・マクドナルドが生み出した私立探偵リュウ・アーチャーのデビュー作。アーチャーものは晩年の『さむけ』『ウィチャリー家の女』あたりの評価が高く、初期の作品はなかなか手に入らない状態が続いていたので、これはうれしい。「家庭の悲劇」を巧みに織り込んだハードボイルドでありながら、本格ミステリのテイストもある晩年の作品に比べると、本作はかなり若書きの感が否めないのだが、はつらつと活動するアーチャーの姿はかなり新鮮に感じた。また冒険小説として読むと、本作に軍配が上がる。

オースティン・ライト『ノクターナル・アニマルズ』(ハヤカワ・ミステリ文庫)

20年前に離婚した、小説家志望の元夫から突如送られてきた小説原稿。その内容はというと「妻と娘が惨殺される」というもので、そんなものを送り付けてきた真意を疑いつつも、主人公は小説を読み進めていく--というスリラーともミステリともいいがたい、不思議な小説である。作中作自体がけっこう読ませるつくりになっているのだが、それよりもその作中作を読み進める主人公の心情の変化が気になってくる。そしてラストはその解釈をすべて読者にゆだねるような書きぶりで、独特の読了感が味わえた。

大藪春彦『エアウェイ・ハンター・シリーズ 狼は復讐を誓う 第一部パリ篇』(光文社文庫)

光文社がここ数年力を入れている、エアウェイ・ハンター・シリーズのひとつ。タイトルにある通り、これは2部作の上巻で、下巻は未読というか2018-05-04現在未発売のようである。楽しみ(´・ω・`) 大藪作品は後年に近づくにつれ、主人公が超人化していくのだが、本作はちょうど超人化し始めたころの作品らしく、主人公である西城もなかなかのスーパーマンでありながら、人間らしさを残している。また大藪作品といえばエロとバイオレンスだが、本作はエロ成分が少なめ。これについても「疲れていて女を抱く気になれない」というような記述があって、大藪作品らしからぬ印象をやや受けた。もっとも主要な登場人物をホモセクシュアルにしてしまったがために、女性との情交を書きづらかったのかもしれないが。

平井和正『[新版]ウルフガイ【1】 狼の紋章』『[新版]ウルフガイ【2】 狼の怨歌』(ハヤカワ文庫JA)

ウルフガイ・シリーズというよりはむしろ平井和正という作家に興味があって手に取ったきらいがある。もう単純に面白かったというのが最大の感想である。この手のエンターテイメントというのは時代を経ると陳腐化しがち、というかその作品をうけてより複雑で面白い作品が作られるため、その後年の作品に慣れた身からすると、先発の作品が面白くないということがままあるのだが、本シリーズに限ってはそんなことは全くなかったといってよい。発表当時大ヒットになったというが、それもうなづける。その世界観やキャラクター構成は現代のアニメ・ライトノベルへの影響もあるように感じられる。

麻耶雄嵩『あぶない叔父さん』(新潮文庫)

デビュー以来「問題作」ばかりを世に送り出してきた麻耶雄嵩にしては、ややおとなしめの印象を受ける。彼の作品は本格ミステリという形式自体への問いかけを含んだ、アンチテーゼ的なものが多く、本作にもそのような成分は含まれているが、幾分軽め。ただその「軽く」なった分だけ、純粋なミステリ以外の部分が強化されており、「田舎に住む、何物にもなり切れない男子高校生の煩悶」をテーマとした青春小説として読むと、かなり面白く読めると思う。そもそも麻耶ファンに限らず、ミステリファン全体の傾向として、麻耶雄嵩への期待値が上がりすぎている。その期待値を除いた状態で読むと、本作は十分麻耶らしさに満ちていると思うのですが、どうでしょうか?

佐木隆三『復讐するは我にあり』(文春文庫)

小説、それも第74回直木賞受賞作と聞くと、まったくの虚構・作り話であるか、もしくは実際の出来事をデフォルメしたものを想像しますが、本作の面白いところはほぼノンフィクションであるということ。人物名や地名などはさすがに変更されていますが、それ以外はモデルとなった事件をそのまま描写しただけ。これを"小説"というのか議論もあるようですが、しかし読んでいて面白いのだから不思議である。「事実は小説より奇なり」という金言もありますが、綿密な取材をもとにして現実の事象を巧みに写し取ることもまた「文学」「小説」という芸術の一形式なのかもしれません。

法月綸太郎『新装版 頼子のために』(講談社文庫)

法月綸太郎は苦悩の作家とでもいうべきか、作中探偵である法月綸太郎が迷い苦しむシーンが頻繁に登場します。これは現実の作家である法月綸太郎の迷いと苦悩を受けてのものであると論じられることが多いのですが、とりわけ本作が発表されたころは作家法月綸太郎の苦悩時代だったらしく、その面影が作品全体に色濃く表れています。法月氏エラリー・クイーンの愛好家で、その作品もクイーンの影響を受けたロジカルなパズラーものが多いのですが、本作に限って言うとパズラー色はかなり後退しており、ハードボイルドものといって過言ではないほどに暗い雰囲気と「家族の悲劇」が前面に押し出されています。当時の法月綸太郎ロス・マクドナルドになりたかったのかしらん?

笹沢左保著、末國善己編集『流れ舟は帰らず 木枯し紋次郎ミステリ傑作選』(創元推理文庫)

笹沢佐保というと大量生産(そして粗製乱造)の流行作家というイメージがあり、これまで何となく読むことを避けてきたのですが、偶然手に取った本作が大当たり。超面白かったのに、なぜ誰もその面白さをわたしに教えてくれないのか(八つ当たり)。まずもって短編ミステリとして質が高い。本格ミステリやパズラーの文脈から読むと文句もつけたくなるが、意外性のあるプロットとあざやかな謎解きを短編の分量に凝縮しつつ、さまざまなパターンを用意するというのは並大抵の才能ではない。また木枯らし紋次郎というキャラクターが魅力的である。口数は少なく、剣の腕はたち、どこか陰のある雰囲気を漂わせている。短編小説という縛りの中で、人物造形にこれだけの深みを持たせているのは、やはり只者ではない(2回目)