nekoTheShadow’s diary

IT業界の片隅でひっそり生きるシステムエンジニアです(´・ω・`)

三浦綾子『道ありき』『この土の器をも』『光あるうちに』<「道ありき」3部作>

道ありき―青春編 (新潮文庫)

道ありき―青春編 (新潮文庫)

この土の器をも―道ありき 第2部 (新潮文庫)

この土の器をも―道ありき 第2部 (新潮文庫)

光あるうちに―道ありき第3部 信仰入門編 (新潮文庫)

光あるうちに―道ありき第3部 信仰入門編 (新潮文庫)

クリスチャン=プロテスタント作家である三浦綾子の自伝的小説――と紹介されることが多い3部作ですが、自伝あるいは私小説といえるのは第1部と第2部だけ。残る第3部はキリスト教信仰に関するエッセイ集的意味合いが強く、その点ではやや蛇足のように感じられます。いわゆる文学作品を求めている人は第2部まででやめておくのがよいでしょう。

これは個人的な意見ではあるのですが、キリスト教信仰には「力強さ」の側面があります。たとえば聖人や福者と呼ばれるようなひとびとは命を懸けて信仰を貫いたり伝道を行ったりしたことがほめたたえられ列聖されており、そもそもナザレのイエスが全人類の罪を贖うために命を神にささげることが宗教としての始まりになっています。見ず知らずの人間のために命さえも惜しげもなく捨ててしまう――そのような「力強さ」に満ち満ちた態度が信仰の始まりであり賞賛の対象であるキリスト教において、弱者はどのように位置づけられるべきか。いいかえれば「力強さ」を発揮できない社会的経済的環境にいる人間がどのようにしてキリスト教信仰と折り合いをつけるのか。それに対してひとつの解答を提示してくれたのが本シリーズ、すなわち死に至る病に侵され、30代の後半までベットの上で過ごした「弱者」たる女性作家の自伝でした。

本シリーズにおいて繰り返されるのは「キリスト教信仰が社会的弱者に生きる意味とアイデンティティを与えてくれた」という主張であり、それを裏付けるエピソードです。「社会や家族に迷惑をかけているばかりで生きているだけ無駄だ」と自己評価を下している作者が聖書を信仰し霊的な体験を経ることでみずからの生きる意味を獲得する。そして人生は好転。友人関係にも恵まれ、同じくクリスチャンの生涯の伴侶を獲得し、社会的にも経済的にも恵まれていく――正直にいって第1部の後半あたりから、キリスト教信仰によって得た現世利益の話が増えてくるのは事実であり、そこに疑問を感じないというと嘘になります。また物語が進むにつれ、霊的体験やエキセントリックな宗教体験に関するエピソードが減っていき(もともと本シリーズにそのようなエピソードが少ないのですが)、対照的に現世利益的側面が増えていくため、読む人によってはひどく「生臭く」感じられるかもしれません。しかしそれでもなお「弱さとキリスト教信仰がどのように結びつくのか」という疑問に対する一つの解答あるいは凡例であり、キリスト教信仰に関心があるならば十分に読む価値があると感じます。

最後に一点だけ表層的なところで気になったことをあげておくと、本シリーズの同性愛理解でしょうか。「性欲に溺れるがゆえに異性から同性へ、そして最後には人間ならざる獣にまでその対象を広げていく」というような同性愛理解がたびたび提示されますが、リベラルなジェンダ教育を受けた身としては読んでいてつらいものがありました。というよりいまどき保守的な思想の持ち主でも同性愛をこのようには考えていないのでは? もっとも時代背景を考えればけちをつけてもしかないという面はあるのですが……。