nekoTheShadow’s diary

IT業界の片隅でひっそり生きるシステムエンジニアです(´・ω・`)

R・チャンドラー『過去ある女――プレイバック――』読了。

過去ある女 プレイバック (小学館文庫)

過去ある女 プレイバック (小学館文庫)

 チャンドラーが長編作家として活動したのは1930年代から50年代にかけてですが、このころのアメリカの娯楽の王様といえばずばり映画。テレビにその座を奪われつつあったとはいえ、まだまだお金はたくさんあり、この時期に活動した大衆文学の作家の多くが映画脚本に手を染めています。チャンドラーも例外ではなく、主だった長編作品はあらかた映画化されており、また映画脚本も手がけています。

 さて本作はチャンドラーが書いた映画脚本のひとつであり、チャンドラー最晩年の作品『プレイバック』の原型とされる作品です。なおチャンドラー作品は名セリフとともに知られますが、なかでも有名なセリフである「しっかりしていなかったら、生きていられない。やさしくなれなかったら、生きている資格がない」が登場する作品こそこの『プレイバック』にほかなりません。

 ところで『プレイバック』はその難解さで有名です。長編にしてはやや短く、ストーリー自体は単線的で非常にすっきりしているものの、そこで語ろうとしているテーマが漠然としており、とらえどころのない作品に仕上がっています。よく指摘される通り、チャンドラーはプロットという点ではあまりほめられた作家ではなく、その文体や比喩の独特さ流麗さでハードボイルド文学の頂点に立ち続けているわけですが、『プレイバック』はその究極形といえます。

 一方で本作は『プレイバック』に比べると、映画脚本だからか、プロットが圧倒的に良質であると感じました。チャンドラーの作品を読む際に物語の筋だけ追いかけていると苦痛を感じることが正直にいってあるのですが、本作ではまったくなく、むしろ楽しんで読めたほどです。もちろん小説ではないので、いわゆる地の文はありません。したがって比喩や文体の快楽を味わうことはできませんが、その分せりふまわしはさえきっています。

 チャンドラーには珍しいウェルメイドな物語と、脚本になってもたがわぬせりふのかっこよさ。この2点を兼ね備えているという点で、ハードボイルド文学における傑作名作のひとつであることは決まったようなものです。もしかすると、ひとによってはチャンドラー長編よりも高く評価するかもしれません。

 ちなみに訳者あとがき(小鷹信光)によると

 レイモンド・チャンドラとハリウッドにお関係は評伝その他でくわしく語られている。奇妙なめぐり合わせのため、結局彼は自作の映画化には一度もかかわらなかったが、いくつもの映画のシナリオに関与した中で、のちにそのシナリオが単行本となって刊行されたものは、本書をふくめて三点ある。一点は、ビリー・ワイルダーとの共同脚本で『深夜の告白』(二〇〇〇年、小学館刊、森田義信訳)。ジェイムズ・M・ケインの『殺人保険』(Double Indemnity 四三年作)の映画化で、戦時中の四四年に公開された(日本公開は五三年)。二点目は「青い戦慄」(Blue Dahlia)のためのオリジナル脚本(『ブルー・ダリア』八八年、角川書店刊、小鷹信光訳)。この映画は終戦直後の四六年に公開された(日本公開は五六年)。
 この二本はいずれもアカデミー脚本賞の候補にのぼり(受賞は逸する)、フィルム・ノワールの初期の作品でありながら日本公開までに十年前後のギャップがあった、という共通点がある。そして三点目が、結局映画化は実現せず、それを元にチャンドラーが十年後に小説化を果たした本シナリオである。(pp.291-292)

 ということで『深夜の告白』『ブルー・ダリア』をAmazonで探してみたところ――どちらも絶版。これを残念にも思わず、むしろ当然のように受け入れているあたり、毒されてきています。とくに翻訳ものは一度絶版になると、再版されることはまずありません。翻訳権の問題もありますが、折からの出版不況で売れないのが理由としては大きいのでしょう。

深夜の告白

深夜の告白

ブルー・ダリア

ブルー・ダリア

 面白そうだが売れなさそうな翻訳小説を見つけたら、とりあえずは手に入れておくこと――20年近く読書を趣味にしてきてわかった処世訓です。本作を手に入れたのも、いずれ絶版になることを見越してのことでした。