nekoTheShadow’s diary

IT業界の片隅でひっそり生きるシステムエンジニアです(´・ω・`)

ヘミングウェイ『日はまた昇る』読了。

日はまた昇る (新潮文庫)

日はまた昇る (新潮文庫)

 本作の翻訳は何種類も出ているようですが、わたしが今回読んだのは新潮文庫の旧訳版。訳者は大久保康雄。ただし絶版。現在は高見浩訳が新潮文庫には入っている模様。

日はまた昇る (新潮文庫)

日はまた昇る (新潮文庫)

 あとはハヤカワepi文庫(土屋政雄)と岩波文庫(谷口陸男)からも同作品が出ているようです。つまり現状3種類の訳が手に入るわけですね。本作、というよりヘミングウェイの日本における人気ぶりがうかがえます。

日はまた昇る〔新訳版〕 (ハヤカワepi文庫)

日はまた昇る〔新訳版〕 (ハヤカワepi文庫)

日はまた昇る (岩波文庫 赤 326-1)

日はまた昇る (岩波文庫 赤 326-1)

 なお読み比べたりなどはしていない(そんな財力はない)ので、どれが名訳とかはわかりません。まあ、好きな訳者の版を読めばよいと思います。というか、わたし自身がその基準で大久保訳を選んだので、えらそうなことはいえません。

 ヘミングウェイはいわゆる「失われた世代」を代表する作家として知られています。第1次世界大戦という歴史始まって以来の大戦争を経験し、それに伴う戦後の思想的精神的幻滅を文学的出発点に持つ――このように書くと、本作品はごく限られた時代の世相を反映しただけの小説のように感じられます。しかしそれは事実ではない、あるいは事実だとしても時空を超えて読まれ続けているのは、そこにある種の普遍性があるからでしょう。

 わたしが読んでいて強く感じたのは「情熱」でした。たとえば「恋愛」。本作のメインテーマは複雑な人間関係であり、そこに絡み取られる恋愛模様です。恋愛にも数多くの種類や形はするはずですが、どのような恋愛でも情熱的であることは避けられません。どうしようもなく情熱的であるからこそ、人間は苦しむのであり、それを取り巻く関係を混線させていくのです。また「闘牛」も大きなテーマのひとつですが、これもやはり情熱的であるということはいうまでもありません。

 「空虚」からいかにして「情熱」は立ち上がり、そして失敗するのか――この例に限らずとも「空虚」と「情熱」は人間にとって永遠の疑問であり、普遍性のあるテーマだと思います。 「失われた世代」は明らかに存在しますが、どんな世代でも社会を形成している限り、多かれ少なかれ何かを失っている。ゆえに本作は現代日本においても強い共感や感動をもって読まれ続けているのではないでしょうか。