nekoTheShadow’s diary

IT業界の片隅でひっそり生きるシステムエンジニアです(´・ω・`)

大藪春彦『野獣は甦える』読了。

野獣は甦える (カッパ・ノベルス)

野獣は甦える (カッパ・ノベルス)

 伊達邦彦シリーズの第5長編……だったかな? というのも伊達邦彦シリーズは短編・中編・長編それぞれが存在し、かつ時系列もばらばらなため(「長編がメインで中短編はスピンオフ」のようなことにはなっていない)、正直長編だけでナンバリングする意味がなく、こういうあいまいな表記になっています。

 なおわたしが読んだのは中古で拾ったカッパ・ノベルス版。おそらく入手しやすいのは光文社より出ている「伊達邦彦全集」の文庫版だと思います――って、これも絶版なのね。  

野獣は甦える―伊達邦彦全集〈8〉 (光文社文庫)

野獣は甦える―伊達邦彦全集〈8〉 (光文社文庫)

 同じ「伊達邦彦全集」でも『野獣死すべし』は手に入るというのに……。

野獣死すべし (光文社文庫―伊達邦彦全集)

野獣死すべし (光文社文庫―伊達邦彦全集)

 気を取り直して、本作の内容に移りましょう。

 大藪春彦は1958年に『野獣死すべし』を発表し出版界にデビューしたわけですが、このころの作風はとにかく「暗い」のひとこと。登場人物はひたすらに破滅的・刹那的で、ゆえに暴力も辞さないというスタンスでした。なお初期作品については以前にもブログの記事にしたので、参考にどうぞ。

 時代は高度経済成長期。あらゆる方面から厳しいおさえつけがあった戦前から一転、すべてが自由となり、経済も急成長を遂げているとなれば、若者たちが快楽主義・刹那主義に陥るのも仕方ありません。あるいは大藪春彦が朝鮮からの引揚者で、その際かなり過酷な経験をしているという来歴も「暗い」作風に影響しているのでしょう。

 さて「もはや戦後ではない」という文句があるように日本社会は史上まれにみる大発展を遂げ、時代の空気と呼応するように大藪春彦も作風を変えていきます。具体的には純文学的な「暗さ」がなくなり、よりエンターテイメントの方向へと寄っていきます。いうなれば「通俗ハードボイルド」らしくなっていくのです。また冷戦真っ盛りのこの時期、英米で多数スパイ小説が書かれるのですが、この影響を受けてなのか、作品に「国際謀略」の色合いが濃くなっていきます。

 本作は1992年発表。1996年に没する大藪春彦にとっては「通俗ハードボイルド」性と「国際謀略」性が最高潮に達した時期といえます。事実本作の内容は「日本銀行からダイアモンドを奪い、カナダでおとなしくしていた伊達邦彦が様々な謀略に巻き込まれるううちに眠っていた暴力性が目を覚ます」というもの。あらすじだけで中後期の大藪作品らしいですね。

 個人的にもっとも注目したのは伊達邦彦が国家相手に仕掛ける超巨大作戦。ねたばれのため詳細は回避しますが……正直なところ、これは「いかんでしょ」。冷戦が終結したとはいえ、まだその影響も色濃い時期にこんなことを書いてしまうとは! しかも3.11を経験したわれわれからすると、また別の意味でリアリティを持ちそうです。