nekoTheShadow’s diary

IT業界の片隅でひっそり生きるシステムエンジニアです(´・ω・`)

エラリー・クイーン『九尾の猫』読了。

九尾の猫 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-18)

九尾の猫 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-18)

 後期クイーンを代表する作品のひとつ。残念ながら文庫本は絶版ですが、電子書籍は手に入るようです。

九尾の猫

九尾の猫

 訳者あとがき(大庭忠男)によると

 一九七七年の秋、珍しく来日したエラリー・クイーンは(共作者のマンフレッド・リーは一九七一年に病死しているので、フレデリック・ダネイひとりだが)ある週刊誌のインタビューで、作者自身がベスト・スリーを選ぶとすれば何をあげるかときかれて、
 一 『チャイナ・オレンジの秘密』
 二 『災厄の街』
 三 『途中の家』
と答え、さらに番外として
 『九尾の猫』
をつけ加えた。(p.413)

 世間の評判とややかい離があるような気はしますが、クイーン自身が自選しているという点ではクイーン研究において重要な作品です。

 もうひとつ本作がミステリを語るうえで重要なのはいわゆる「後期クイーン的問題」が押し出されているという点。

 「教授、あなたが何とおっしゃろうと、どんな言いかたをなさろうと、私がxxxxx(人名)の計略にだまされて手おくれになり、このxxxxx(地名)であなたを終わった相手に終わった事件を論じるのが関の山だという事実は変わりません。xxxxx教授、私はたしかに失敗しました」
 「そういう意味でなら――そうだ、クイーン君、君は失敗した」老人は突然、前に体を乗り出してエラリイの片手をにぎった。彼の手にふれたとき、エラリィは自分が道の終りに達し、そして二度とそこを歩まなくてもよいことを知った。「君は前にも失敗した。今後もするだろう。それが人間の本質であり、役割だ。
 君がえらんだ仕事は昇華作用であり、大きな社会的価値のあるものだ。
 それを続けるべきだ。
 もうひとつ言っておこう。君の仕事は社会にとって非常に重要であると同時に、君自身にとっても重要だ。
 しかし、クイーン君、その重要で、やり甲斐のある仕事をしている間、一つの大きな、真実の教訓をつねに忘れないでいてもらいたい。それは君が今度の経験で得たと信じている教訓よりもっと真実のものだ」
 「それはどういう教訓ですか、xxxxx教授?」エラリイは身をのり出した。
 「その教訓はね」老人はエラリイの手をかるくたたきながら言った。「マルコ福音書にある言葉だ。"神はひとりであって、そのほかに神はない"」 (p.403 ネタバレ回避のため一部伏字)

 主人公の探偵エラリイの苦しみとは「自分の不甲斐なさのために犠牲者が出てしまう」というものです。たとえばエラリイが事件の真相に気が付けないために被害者が増えてしまう。あるいは自らの推理に対して確信を得るため、関係のない人を被害に巻き込んでしまう――そういうエラリィの悩みに対し、xxxxx教授は私立探偵の社会的有益性を肯定しつつ、「人間を裁くのは神でしかない」ということを述べるわけです。

 つまりここにあらわれるジレンマとは「私立探偵が人間の運命を差配することは許されるだろうか」というものです。たとえば警察の場合、神ないし人民より信託された王権の一員ですから、人間の運命に介入することはある程度肯定されるかもしれません。しかし私立探偵は単なる私人、一般市民に過ぎません。果たして彼ないし彼女は何の根拠をもって他人の運命を左右することが許されるのでしょうか?

 「後期クイーン的問題」というと「作中で提示された推理が真の解決であるかどうか、登場人物は究極的に知ることはできない」といった論理上のそれが想起されがちですが(事実いわゆる「新本格」に影響を与えたのはこちら)、以上のような倫理的問題も忘れてはいけない重大な論点で、かつそれが提示されている点で本作はミステリ上欠かせない作品になっているといえるでしょう。

 閑話休題。これまで作品の外的な情報と評価を述べてきましたが、では「おはなし」としてはどうなのか――個人的には比較的満足でした。

 本作はいわゆるミッシングリンクものなので、クイーンお得意の「論理性」よりはむしろ「ひらめき」や「気づき」の比重が大きくはなっています。また発表が1949年ということで神経症やら精神病質やらの話が多く、推理もそこに寄りかかっているので、医学の進んだ現代からするとかなり「トンデモ」な理由づけを行っているように見えます。

 ちなみに1950-60年代のアメリカでは戦争の精神後遺症が発見されたり、フロイトがもてはやされたり、睡眠薬が一般販売されたりとサイコロジーな時代でした。とくに「俗流精神医学」とでもいうべきものが世間一般に流布し、インテリから庶民にいたるまで「アマチュア精神科医」のようになっていたのでした。この様子がとくにわかりやすいのがロス・マクドナルドの諸作品。彼の作品の登場人物は総じて「病んでいる」だけでなく、たとえば「悪寒がする→風邪だ」と考えるぐらいの勢いで、素人が精神病・神経症を「診断」しています。  

さむけ (ハヤカワ・ミステリ文庫 8-4)

さむけ (ハヤカワ・ミステリ文庫 8-4)

 ふたたび閑話休題。今日は話が脱線してばかりですね(苦笑)。

 とくに「論理」という点ではやや不満だったものの、それ以外でクイーン作品に求めるところ――たとえば「どんでん返しに次ぐどんでん返し」など――は大方満足でした。また犯人を追いつめていくところなどはスリラーやホラーなどとしても優秀だったように感じました。

 正直なところ「クイーン作品はどうあってほしいのか」によって本作の評価はかなり変わると思います。つまり個人の趣向の問題ですね。そして個人的には割と楽しく読むことができました。