nekoTheShadow’s diary

IT業界の片隅でひっそり生きるシステムエンジニアです(´・ω・`)

森詠『横浜狼犬』読了。

横浜狼犬(ハウンドドッグ) (光文社文庫)

横浜狼犬(ハウンドドッグ) (光文社文庫)

 前々から気になっていた「横浜狼犬(ハウンドウッド)シリーズ」。本作はその第1作目ですね。いろいろ探し回ってようやく手に入れました。発掘元はブックオフの100円本コーナ。たまにはあさってみるものですね。

 ちなみにAmazonに掲載されている写真が間違っているので正しいものをここに張り付けておきます。

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 さて小説作品において「横浜」という街はイコール「国際都市」として扱われる印象があります。が、問題は「国際」のとらえ方。たとえば「海外」といったとき、それはアジアなのか、欧米なのか、それともアフリカなのかという違いがあります。同じように「国際都市」といっても作者によってそのとらえ方は異なるわけです。

 たとえば以前読んだ矢作俊彦『リンゴォ・キッドの休日』であれば、横浜の「国際」性とはすなわち「アメリカ」です。つまり「横浜」=基地の街というイメージが作品の根底にあります。

 あるいは島田荘司の「御手洗潔シリーズ」も同じように「横浜」を主要な舞台においていますが、こちらの場合どちらかといえば「国際」性を「欧米」においている印象があります。

暗闇坂の人喰いの木 (講談社文庫)

暗闇坂の人喰いの木 (講談社文庫)

 では本作はどうか――すなわち「東アジア」です。本作において「横浜」はヤクザとそれにつるむ「不良アジア人」が跋扈するとして描かれています。そもそも主人公の警察官・海道章は母親が朝鮮人という複雑なバックボーンの持ち主。ここにも作者の持つ「国際都市」のイメージの異端があらわれているといえるでしょう。

 近代日本において「海外」として意識させられてきたのは常に「欧米」でした。「脱亜入欧」という言葉が代表的ですね。もちろんその「欧米」との関係性も大きな問題です(先にあげた矢作俊彦はこちらをかなり意識していると思います)。しかし近年では「アジア」も急成長を遂げ、日本における「海外」として無視できない存在になりつつあります。そもそも日本自体が地理的には「アジア」なので、本当に意識すべきは「アジア」であり、「欧米」ばかりを眺めてきた今までがもしかすると異常なのかもしれませんが……