吉川栄治文学新人賞受賞作の短編集ですね。収録作品は以下。
- 『猿蟹合戦とは何か』
- 『国語入試問題必勝法』
- 『時代食堂の特別料理』
- 『靄の中の終章』
- 『ブガロンチョのルノワール風マルケロ酒煮』
- 『いわゆるひとつのトータル的な長嶋節』
- 『人間の風景』
ユーモアの感覚は時代や地域によってかなり変化するため、古典や傑作とよばれる作品でも現代日本的な価値観からするとまったくつまらないということがよくあります。たとえばギリシア喜劇などはそうですね。たとえば『オディプス』など、同じ古代ギリシアでも悲劇は現代でも親しまれていますが、喜劇のほうはさっぱり。高校の世界史で暗記させられたぐらいでしょうか。
- 作者: ソポクレス,藤沢令夫
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あるいは悲劇というくくりだと、シェイクスピアの著名な作品はたいてい悲劇ですね。『リア王』とか『ロミオとジュリエット』とか。『夏の夜の夢』のように喜劇にも有名な作品があるといえばあるのですが、やはり少し劣る印象があります。少なくとも日本で『夏の夜の夢』が知られているのは原作よりはむしろメンデルスゾーンの同名楽曲のおかげのように思います。
- 作者: シェイクスピア,安西徹雄
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- 作者: シェイクスピア,中野好夫
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- 作者: シェイクスピア,William Shakespeare,福田恒存
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悲劇と喜劇にこれだけの差があるのは採用されるテーマにあると思われます。悲劇は人の死や別離が物語の根幹にありますが、このようなテーマはあまり文化の影響をうけません。古代ギリシアだろうが中世ヨーロッパだろうがあるいは現代日本だろうが、親しいひとがなくなったり恋人とわかれわかれになったりすると悲しいのです。
対して笑いの感覚は時代や文化に強く影響されます。たとえば喜劇によく採用されるテーマとして政治状況への皮肉があります(ギリシア喜劇だと『女の議会』などがこれ)。しかし政治の滑稽さを面白く感じられるのは実際の政治状態を間近で知っているからで、たとえばギリシア時代の政治の不備を面白おかしく脚色されても、現代日本人には全く理解できないでしょう。逆もまたしかりで、劇団ニュースペーパーのコントを古代ギリシアの人々に見せてもきっとつまらないはずです。
- 作者: アリストパネース,村川堅太郎
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前置きが長くなりましたが、本作はユーモア短編集です。しかも1987年発表。つまり30年近く前の作品ですが、思いのほか陳腐化していませんでした。作者の意図したと思われるユーモアをそのまま楽しむことができました。
ちなみに1987年は村上春樹『ノルウェーの森』が発表され、ベストセラーになった年だそうです。『ノルウェーの森』は普遍性を意識して書かれた作品なので、30年後の現在読まれていても何ら不思議はありませんが、本作はユーモア作品。性質上瞬時に陳腐化する恐れがあります。しかしそれを乗り越えて現在でも絶版になっていないあたり、作者清水義範の力量がうかがえるというものです。
- 作者: 村上春樹
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個人的に気に入ったのは『猿蟹合戦とは何か』と『靄の中の終章』。
前者は丸谷才一『忠臣蔵とは何か』のパロディーです。加えてできの悪い文芸評論を茶化している(『忠臣蔵とは何か』が「できが悪い」わけではありません。あしからず)。世の中にはできのよい評論の数だけできの悪いそれがありますが、できの悪いものの牽強付会さといえばもう笑うしかない。その「笑うしかない」様子をうまく作品に落とし込んでいます。
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『靄の中の終章』は痴呆症の老人のお話。有吉佐和子『恍惚の人』など、痴呆をテーマにした小説はたくさんありますが、この短編にはそれに付きまといがちな悲惨さは全くありません。徹頭徹尾ユーモア。本来悲惨とされる物事をユーモア一辺倒にして、しかも不謹慎さを感じさせないあたりが素晴らしいですね。
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ちなみに老人になると誰しも忘れっぽくなります。これは老人性痴呆というやつで、ある種宿命的なものがありますが、ごはんを食べたことを忘れたりあるいは食べなかったことを忘れたりするのは非常に危険。痴呆は痴呆でもアルツハイマーです。ごはんを1食食べたり食べなかったりする程度にはまだ構わないのですが、次第に排尿排便の我慢ができなくなったり立ち方がわからなくなったりし始めます。つまり生命維持にとって大事なことを忘れてしまうのがアルツハイマーなのです。
アルツハイマーは脳の委縮によって引き起こされる痴呆です。そのため研究が進んだ昨今ではその委縮を止める薬が開発されており、定期的にその薬を飲むことによってアルツハイマーの進行を緩和することが可能になっています。ですが……アルツハイマーの厄介なところは薬を飲むことすら忘れてしまうところにあります。まあ健康なひとでも薬を飲むのは忘れがちなのに、痴呆が進んだ老人に定期的に飲めという方が無茶なのかもしれませんが。
――いやはや熱く語ってしまった。祖父が晩年アルツハイマーになっていたこともあって、痴呆の話になるとつい熱くなってしまう……反省。なお『靄の中の終章』の主人公は完全にアルツハイマーです。