nekoTheShadow’s diary

IT業界の片隅でひっそり生きるシステムエンジニアです(´・ω・`)

安岡孝一・安岡素子『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)

キーボード配列QWERTYの謎

キーボード配列QWERTYの謎

たいへん興味深く、通勤途中の電車で読み切ってしまいました。巻を措く能わずとはこのことである。

タイプライターはあまり早く打鍵すると壊れてしまうので、それを防ぐために開発されたのがQWERTY配列。つまりQWERTY配列は本来効率が悪いはずなのだが、何の因果か世界中に広まってしまった――という説はよく耳にする。わたしがこの説を知ったのは大学生だったころ、経済学入門のような講義だった。講師曰く「QWERTY配列のように効率が悪いものでも、一度広まってしまうと、歴史的な経緯などもあって簡単にやめることができない。これは近代経済学が想定する人間像、つまり人間はいつでもどこでも最も合理的な選択肢を選び続けるという像に対するクリティカルな批判になっている」。その当時は「そういうものなのか」と講義を聞いていたのだが……。

本書はタイプライターの歴史を丁寧になぞるにより、QWERTY配列非効率説が神話に過ぎないということ、そしてその説がどのように広まっていったのかを追いかけた本である。QWERTY配列がなぜ効率的ではないと考えられるようになったのか、さまざまな要因や歴史的経緯があり、その詳細を知りたい場合は本書を手に取ってほしいのだが、個人的に最も関心をもったのが「dvorak配列の創始者によるネガティブキャンペーン」。プログラマなら一度は耳にしたことがあるであろうdvorak配列。非効率なQWERTY配列に代わって、より効率的なタイピングを実現した配列といううたい文句を聞くことも多いのだが、本書によると実は因果が逆。つまりdvorak配列の創始者が自ら開発した配列を宣伝するために、かなりあやしげな根拠のもと、qwerty配列への批判を繰り返しており、それが巡り巡ってqwerty非効率説の都市伝説化に一役買ったというのが実態のようです。

IBMAT&Tのような通信業界やコンピュータ業界の雄の名前が出てきたり、テレタイプの普及機において文字コードの標準化戦争があったりと、本題以外のところ(といいつつ実は本題に大いに関係するのだが)でも面白く読める本でした。しいて難点を上げるとすれば、出版社がややマイナーなため手に入りづらいということ、そして本屋ではコンピュータ書や理工書のコーナーに置かれやすいために、本書を読むべき人に届きずらいということぐらいでしょうか(´・ω・`)

本書が中公新書あたりで売り出されていたら爆発的に売れていたような気もする(適当)。分量的にも新書ぐらいですし。

「仕事が忙しくてつらい」からはじまる、とりとめもない雑談

最近は仕事が忙しくてつらい(´・ω・`) 仕事自体もつらいが、仕事が忙しいと、仕事の外で勉強ができなくなってしまう。それがつらい。「プログラマは業務外で勉強せねばならない」という面もあるのだが、それよりも趣味=プログラミングの時間が削られてしまうのが精神的な負担である。睡眠時間を削ってプログラミングの時間にあててはいるものの、やはりそれにも限界があるし、「では転職だ」と意気込んでみても転職活動する時間がない。とりあえずこの忙しい期間はもうすぐ過ぎ去る予定だから、それまではじっと我慢である。

仕事が忙しいのは仕方がない――と百歩譲るとして、許せないのはマネージャたちがプログラマたちを尻目にさっさと退勤していくことである。そもそもプロジェクトが炎上した原因は上流側、すなわち元請のマネージャたちに責任があるにもかかわらず。もちろん残業をするしないは労働者の権利なのだが、やはり腑に落ちない。「忙しくさせてごめんな。でも俺たちはコードが書けないから、あとはまかせたで!」と一言言ってくれたなら「おたがいさまやからええんやで」と気持ちよく仕事をするのに、どうしてそういう最低限のコミュニケーションすら取ろうとしないのか。


今上陛下の退位問題が世間の話題になっているころ、Twitterを眺めていると、ソフトウェア業界のフォロワーの多くが元号廃止論をつぶやいていた。元号はかなり政治的な問題であり、元号を使う使わないはその人間の政治的立ち位置を示す。少なくとも元号の否定はすなわち左翼、それも比較的急進的な左翼であり、発言者の所属企業に右翼の街宣車が取り巻いてもおかしくないようなテーマなのだが、それをプログラマたちが簡単につぶやいているのを見て、隔世を感じたというかなんというか。とりあえずはとんでもない世界にいることは間違いないのである。

「今上」あるいは「天皇」という単語単体がすでに敬称のため、実際はどちらか一方でよいのだが、やはり「今上天皇」と書かねば落ち着かない。この辺りは左翼大学に5年間通った影響というかアレルギーというか。教授たちが左翼らしく「天皇家」と呼んでいるのを聞いて、なんとなく「皇室」と使いだしたことがきっかけだと思われる。

敬称はやはり難しい。ローマ法王は聖下、ダライラマだと猊下――とここまで大げさでなくとも、単なるビジネスメールの宛名でも悩むところではある。ビジネスメールでは宛名に企業名や部署名をを添えることが一般的だが、いつも悩ましいのは「企業名」「部署名」。まず「企業名」だが、何が正解なのかわからないということが多々ある。後株なのか前株なのか、旧字体にすべきか新字体すべきか。あるいは「通称はアルファベットだが、正式名称はアルファベットをカタカナ呼びしたもの」という場合、アルファベットにするかカタカナにすべきか――考え出すと本当にきりがない。「部署名」についてもどれだけ詳細に書くべきものなのか。「XX部XX課XXグループ」とまで書くとすこしくどいように感じられるし、とはいえ「XXグループ」だけだとそっけないような気もする。そういうどうでもいいこと、メールの本質ではないところに頭を使いたくないので、「会社名+個人名」でいいというルールを作ってほしい(´・ω・`)


最近はPython3に凝っている。「言語仕様に難がある、というより厳密さや一貫性に欠ける」と昔は思っていたのだが、書いているうちにそれが気にならなくなったというのが実際のところかもしれない。あばたもえくぼとはこのことである。

食べ物でいうとストレートの紅茶をよく飲むようになった。かくいう今も熱い紅茶をぐびぐび飲んでいる。といっても本格的に凝っているわけではなく、コンビニで売っているようなペットボトルの紅茶を飲んだり、安物のティーパックで熱い紅茶を飲んだりする程度なのだが。

山田祥寛『改訂新版JavaScript本格入門: モダンスタイルによる基礎から現場での応用まで』(技術評論社)

最近はJavaScriptを書く機会が多い――というより書かされる機会が多いのですが、はたと自分自身のスキルセットを振り返ると「JavaScriptについてきちんと学んだ機会がない」。いわゆるWeb系のプログラマならともかく、SIerだとクライアント系は軽視されがちで、Javaプログラマが本業のついでに書くこともしばしば。わたしもその風潮に甘えて、いい加減なJavaScriptプログラミングを続けて来ました……。

本書はわたしのようなプログラマにはうってつけでした。つまり「多少のプログラミング経験はあるが、JavaScriptについては初心者で、これを機にJavaScriptの正しいお作法を学びたい」。逆にいえば「そもそもプログラミング経験自体がない」というタイプの初心者には少し厳しいように思われます。そもそもプログラミング初心者にとって処女言語にJavaScriptを選択することが最適なのかどうかは議論を呼びそうなところではあるのですが……。

ともあれ体系的なJavaScriptプログラミングを学べたのはプログラマとして大きな糧になったように思います。本書を読んだだけでお金が取れる程度のJavaScriptプログラマになれるわけではありませんが、少なくともでたらめなJavaScriptプログラミングは脱却できますし、SIerの現場であればこの程度でも十分のように感じます。これでスキルセットにJavaScriptと書けるぜ(´・ω・`)

J.D.ヴァンス『ヒルビリー・エレジー: アメリカの繁栄から取り残された白人たち』(光文社)

ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち

ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち

教育科学政治経済などなど、あらゆる分野において世界の最先端を走る国であるアメリカがなぜドナルド・トランプを大統領に選んだのか? その不合理で不可解な現実をさまざまな角度から解き明かそうとする議論がメディアにあふれており、本書もその文脈において取り上げられることが多い一冊です。とりわけ日本社会で生活していると「リベラル」なアメリカ白人像しかメディアに取り上げられませんが、しかし3億人いるアメリカ人すべてがそうではない。なかには輝かしい経済発展から取り残され人々、そしてその状況が常態化した地域があり、経済的文化的政治的貧困から抜け出せず、子供もそれを受け継がざるを得ないという状況があるわけです。古い社会学の単語を使うならば「階級」。それが従来支配的階層とされてきた白人社会にも存在するという驚きがありました。

アメリカ社会と経済から疎外された白人たち――そのような人々がいることを描いたという点でも読むに値するのですが、しかし本書が爆発的に読まれているのはそれだけではないと考えています。要するに「読み物として面白い」。本書は筆者が自らの生まれ育ちを振り返るというものですが、その記述がどこか客観的でありながら、ときには感情的でもあり、そのバランスが非常に優れいています。筆者はいわば成功者なのですが、その成功した現在の立場から故郷を軽侮するわけでもなく、事実とその時感じていたことを淡々と述べていく。あるいは社会核的な視点で分析をしつつ、一方で故郷愛が見え隠れしてるような記述も散見されており、そうしたバランスがとてもいい具合だとわたしは感じました。頭の良さが読んでいるだけで手に取るようにわかり、社会的に成功するのもうなづけますね(´・ω・`)

Mike Gancarz『UNIXという考え方: その設計思想と哲学』(オーム社)

UNIXという考え方―その設計思想と哲学

UNIXという考え方―その設計思想と哲学

ソフトウェアを語るとき、その「思想」が取り上げられる時があります。対象のソフトウェアがどのような考え方のもとに作られたのか、その考え方はどのような歴史的文脈の元生まれたのか? 本書はそのタイトルの通り、偉大なるソフトウェアのひとつUnixの「思想」を読み解いたものになります。

たとえWindowsを中心とするプログラマだとしてもUnixを知ることはとても価値があります。WindowsがPCのOS業界のシェアを大半を占めている現代社会においても、ユニークなソフトウェアはUnixやその衣鉢を継ぐLinuxの文脈から生まれます。誤解をおそれずにいえば、Windowsからは何も生まれず、ただUnixの成果が移植されているだけに過ぎないのです。いわばソフトウェアを生み出す基盤であるUnix。それを知ることがプログラマに利益をもたらさない――ということがあり得るでしょうか?

あるいはUnixが歴史の深いソフトウェアであることにも目を向けるべきです。一日千秋日進月歩のソフトウェア業界において、四半世紀にわたり利用され続けているということは、そこに使われ続けるだけの理由があり、そして使われていく中で蓄積された素晴らしいノウハウがあるということになります。酸いも甘いもかみ分けた経験に学びましょう。本書はその手掛かりになるとわたしは考えます。

来住英俊『キリスト教は役に立つか』(新潮選書)

キリスト教は役に立つか (新潮選書)

キリスト教は役に立つか (新潮選書)

目から鱗の啓蒙書――というと、えらく安っぽくなりますが、しかし事実なのだから仕方がない。

本書は灘高→東大卒の神父様が「キリスト教を信じることと信じることによって得られる幸せとは何か」を語った、啓蒙的な性質を持つ神学書です。本書が面白いのは信仰とその喜びを記述するにあたって、小難しい神学的概念を語らず、あるいは劇的な宗教的体験を持ち出すこともありません。日常の平易な言葉を使いつつ、理性的かつロジカルに「信仰とは何か」「キリストとは何か」そして「キリスト教的幸福とは何か」をつづっていきます。宗教にかかわることだと、どうしてもエキセントリックな信仰体験を描きがち、そして読者もそのようなものを求めがちですが、本書にはそのようなものはなく、他愛もない平凡な日常に軸足を置いていることに好感を抱きました。

もう一点ユニークだった点としては、本書がカトリック司祭によって書かれたということ。この手の啓蒙活動――というより伝道活動はプロテスタント系のほうが熱心だというイメージがあったため、このような一般書がカトリックの担い手により書かれたことが意外に感じられました。

繰り返すように、本書には宗教の宗教性を強調するようなエピソードはあらわれず、日常的な信仰がどのようなものなのかをときにユーモアなどを交えながら、わかりやすく端的に語ります。日々の何気ない生活と、その対極にある宗教心。その両者がどのように結びつくのかが理解できる――とまではいわないものの、そのとっかかりにはなったと感じられる1冊でした。

最近読んだ海外小説: 『細い線』『あしながおじさん』『カクテル・ウェイトレス』

最近はいろいろな意味でストレスフルな仕事が続いており、読書意欲、とりわけ小説ジャンルに対する意欲が落ちていました。夏バテで食欲が落ちるようなものでしょうか。小説を読むには精神的な余裕がいるということを実感させられる毎日です。転職したい(´・ω・`) でもそんな時間も気力もない(´・ω・`)

ただそんな毎日でも面白い小説には出会うので、そのいくつかの感想をブログに残しておきたいと思います。

エドワード・アタイヤ『細い線』(ハヤカワ・ミステリ文庫)

細い線〔新訳版〕 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

細い線〔新訳版〕 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

本作を買った時期がちょうど出版されたばかりだったらしく、平積み状態だったので、ついつい手に取ったのですが、想定外に面白い作品でした。話の内容としては「夫が浮気相手である親友の妻を殺してしまうが、それが発覚しないため、悶々とした日々を送る」というもの――というより、それだけの内容なのですが、その「悶々」加減の心理描写が非常にうまく、まるで自分が犯した罪であるかのような気分に陥ります。また物語もゆっくりと動いていくのですが、その転がり方がかなり意外で、とりわけラストは衝撃の一言でした。

ジーン・ウェブスターあしながおじさん』(光文社古典新訳文庫)

あしながおじさん (光文社古典新訳文庫)

あしながおじさん (光文社古典新訳文庫)

少女小説の古典ですが、20代も後半に差し掛かろうとする独身男子が読んでみました。読んだ感想としては「こんな面白い話があるなら、早く教えてよー」というもの。帯には「女子だけが知っている名作」(うろ覚え)とあったのですが、むしろ男性こそ読むべき作品であると感じました。「日々の生活をしたためた手紙を孤児院出身の主人公が、大学進学費用を工面してくれた篤志家に送る」という書簡体小説で、その手紙のひとつひとつが魅力的であることもさることながら、主人公の成長物語、すなわち教養小説としても楽しく読める作品でした。

ジェームズ・M・ケイン『カクテル・ウェイトレス』(新潮文庫)

カクテル・ウェイトレス (新潮文庫)

カクテル・ウェイトレス (新潮文庫)

ノワールあるいはハードボイルドジャンルの創始者といっていい作家のひとりであるにもかかわらず、日本だといまいち人気が低く、邦訳も手に入りづらい状況のジェームズ・M・ケイン。本作はその遺作であり、実際には残されていた断片を発掘した編集者がひとつにまとめ上げたという性質の作品のようです。ノワールやハードボイルドジャンルに限らず、創作者が年齢をとると体力や精神力の低下からか、描写が散漫になり、作品の性質が低下してしまうということがあります。とりわけ犯罪小説は緻密な描写が命。しかし本作はケイン晩年の作品ながら、緻密さは失われておらず、一流の犯罪小説として成立しています。さすがケインと思わせる作品でした。